-愛すべき師の説教-
ところで、私の「物々交換」は副業である。
では本業は何なのかと言うと、名前だけは幾度か出している"師匠"を団長に据えたサーカスなのだ。
音と光、幻想という師匠流の魔術を駆使して魅せられる美しいサーカスである。
彼女はその機構に、彼女の使う魔術体系の基礎として使われるカバラーという思想にもとづく象徴「生命の木」との共通点を見出しているらしい。
師の受け売りだが、カバラーは"師の口から弟子の耳へ"の伝承を意味する非常に古き思想でありながら、今なお時代に沿い変遷を遂げ続ける数少ない思想のひとつだという。
ただ研究対象として発掘を待つだけの歴史的遺物やら骨董品ではなく、連綿と続く知的財産と研鑽の蓄積が時代に則って形を変えてゆく。
古代のものよりも進化を遂げ現代に於いて機能できるのは、その象徴が概念的な説明に先立っている思想であるからだそうだ。
逆に言えば、過去の言葉からなる思考より発祥した後付けのものであるならば、現代にそれを生かすことは出来ない。
元型的な象徴が割り付けられているからこそ、どの時代に呼び出されようとも立派に働く。それは単純に、カバラーが単なる思想に留まらず、真実を示す体系であることをも表しているのだ、という。
そして、それを背景に持つ生命の木にもまた同じ理論が当てはまる。
木は十の分類を持つカード索引システムと見做される。
例えば私は地球で学生をしていた頃、ファイルに「現代語」やら「数学」と書かれた小見出しをつくり、ルーズリーフを挟んで見失わぬように索引をつけていた。
木もそれと同じような使い方をすることができ、先述のように発祥の地とは無関係のどんな場所、どんな時代に於いてでもシステムを適用できる――とんでもない象徴なのである。
また、木は「未顕現の絶対者」、広義でいう神が宇宙を造るまでの過程をも内包している。
ただしカバラーでいう神は衣を纏って人間らしい姿をしているものではない。
それは神というものを意識に上らせるうえで、我々が与えた形にすぎないからである。
カバラーにおける未顕現の絶対者は、物質界において言葉で制御される人間の「意識」では認識、定義、把握さえもできないと師匠は言う。
それについて、私は考えようとするのを後回しにしている。
最初に理解すべきは「木は宇宙を表すが故に、宇宙に存在する全てを分類することができる」という一点だと師匠は言う。
つまり「木」全体の姿を宇宙に重ねることが出来、十ある分類にあらゆる事象を当てはめて関係を考察することができる。
人間にも重ねることが出来る。
驚くべきことに宇宙と人間の魂と呼ぶべきものは互いに客観性、主観性の違いこそあれど、照応しあっている。
両者の進化、発展には同一性が見出せるのだというから驚きである。
だからこそ魂が完成すれば、絶対者との合一が叶うというのが、彼らカバリストの主張だ。
師匠はそれを前提に、宇宙、つまり最大であるマクロと人間、つまり最小であるミクロの間に、「サーカス」――つまり中間であるメッゾを置こうと試みているのだ。
どういう意図があってのことかはわからない。
だが、私はサーカス組織の中で木の天球のうちのどれかに割り当てるとするならば、師匠に「ケテル」という純粋な、畏怖すべき隠れたる知性の象徴を当てるのがよいということを知っているし、自分が「ケセド=ゲドゥラー」という保存者の役割を期待されて拾われたことも知っている。
その通りに動くつもりでもいる。
当然ながら師匠は「メッゾ」の考案者であるから、メッゾ・サーカスがこの世界に顕現した時の最初の渦巻きと言い換えることが出来る。
いうなれば師匠こそがこのサーカスの本質なのだ。
今、師はケテルの名において、生命の木の各天球になぞらえたサーカスの面子を集めようとしている段階にあった。
師匠と私も含めると十のうち四つは見つかったらしいが、奇妙なことに私は他の二つに出会ったことがない。
彼らには別の場所でサーカスを支える役割があるとのことだった。
そういうわけで、長くなったが、私の本業はサーカスの道化師だ。
場をぶち壊す大暴れ型の道化師ではなく、維持し形成を援けるものケセドとして、表舞台ではクラウンを務めている。
因みに裏では組織立てる慈悲深きものとして、サーカス団員を現地調達し、演目の構成を考える係りだ。
自分には向いていると思う。師匠の見立てはいつでも完璧で、彼女の創作物としてのサーカスは小さいながらも、どの地へ赴いてもそれなりの人気を誇っている。
最近では私の鍵と扉の力を使って、宇宙をもまたにかける巡業を始めてしまったのだから凄い。
天幕と楽器さえあれば、私たちのサーカスはどこへ行っても公演できる。気の向くままに宇宙各地で芸を行い、ここへ戻っては共同生活をする楽しい毎日だ。
食事や稽古の際、カバラーと生命の天球に関する師匠の講釈が長くなることだけが、玉に瑕である。
さて。
傘と可笑しな黄色い石を交換して帰宅し、風呂まで入って温まった私が、ホカホカ湯気を上げながら部屋へ戻った時だった。
騒々しい足音が階上からドドドドッと降りてきたかと思うと、
「おい、ルートーン!」
無条件で心臓の縮み上がるお叱りモードの声が、部屋の外から私の耳に突き刺さった。
「えっ?」
私が頭を真っ白にしているうちに、師匠は私の部屋の扉を蹴破るような勢いで開け、踏み込んできてしまう。
因みにルートーン、とは師匠に授かった私の魔法名で、師匠はこれについて、音楽らしい響きを組み合わせ、ヘブライ文字に変換して適当に読みをつけたのだと公言して憚らない。
「なん──なんです、何事です」
私は何も身につけていなかった。
急いで寝台に飛び乗って布団を被ると、師匠はコラと言いながら毛布を引っ張り始めた。
「隠れても無駄だ。出て来なさい」
隠れたわけではなく隠したのだが、なにやら怒っているらしい師の命に従わないということは身の破滅を意味する。
私は仕方がなく布団を身体の前面にくっつけて寝台から降りた。
それにしても、何事か。
己の時間に侵入されるのが嫌いな師匠が人の時間を侵したことなど今までに一度もなかった。
非常事態に私は、あわあわと口をぱくつかせながら突っ立っているしかない。
「なんだ、その間抜けた顔は」
いきなり顔のことで叱られてしまった。
私は天変地異でも起きたような慌てぶりで跳ね上がると、普段師と接するときの癖で背筋を伸ばして真っ直ぐに立った。
師はそんな私を眺めて呆れ果てる。
「うん――何か良いことでもあったのかな?顔ににやけた跡が残っている」
先に述べたが、私は師匠に「物々交換」のことを話していない。
「木」という象徴を使って行う術のさわりの伝授こそ受けたが、師匠は弟子の私生活にはあまり興味がないようだし、突っ込んでこない。
くっ喋る暇があったら精進せよ、とのことである。
その割に師匠の話は長いのだが、それは殆どが弟子の私にとってためになる有り難い長話だから許されるのであって、私が師匠に垂れ流すとりとめない話などは土俵が違うのだ。
そういった理由もあって物々交換のことは言うに言い出せず、飽くまで瞑想の精度を高める自己訓練も兼ねた副業、として行っている。
「ええ、まあ」
お茶を濁して私は、風呂上りで火照った頬に手をやった。
にやけた跡、なんてものが残るのか。
「ところで、何です」
「なんですじゃないよ。これはお前が出かけるときに、
こそこそ持ち歩いている頭陀袋だろうに」
「へ?」
今まで気がつかなかったが、師匠が持ち上げたものをよくよく見てみると、確かに汚い私の麻袋であった。
一体どこにあったのか。
「なぜ?」
「知らないよ、今朝倉庫を見に行ったらあったのだ。
いつか天幕を片付けた時に一緒に倉庫へ放り込んだのじゃないか?
お前が居なかったから私の部屋に保管していたんだ。問題はそこじゃない。
袋の隣に夕食用の食材を置いていたんだが、調理しようと持ち上げてみたら、
真っ白けにカビていたんだぞ。おかしいと思って、
この袋を開けたら中のものも全部カビてた。カビだらけだ。
何かの報復なのかね。これじゃあ我がサーカスはカビ臭いという噂が立ち、
お客の入りが悪くなってしまうじゃないか」
非難と苦情と説教とが一度に降りかかる。
カビを放射する珍しい麻袋として交換に使えそうだ、などと邪な考えが脳裏を掠めたが、師匠の声高なお叱りによってそれもすぐに消え去った。
「聞いているのかッ」
「あ、め、面目ない……」
食材が台無しになった悔しさで、色気より食い気な師匠の機嫌は最悪の状態だった。
私はひたすら謝り倒し、彼女の膨れっ面が萎んでいくまで耐えるしかなかった。
「全く以てわかってない。どんな世界においても大抵、
創造・保存が善であり、破壊が悪のように思われてきた。
今でもそうだ。物質だろうと思想や生活だろうと例外ではない。
だがどうだ!過剰な保存は腐敗を呼ぶ。カビを生むことも今わかった。
今こそ破壊という救いを行使するときではないのかね。
形の保存者ゲドゥラーは魔界的局面に堕ちたなどと、
こんなことで言われたくなどないだろう。
つまり何を言いたいのかというとだ――捨ててもよいね!」
怒っていても冷静に事象の分析をするのでやはり長くなる。
「す、捨てて結構です」
私は大きな体を出来る限り縮めた。
惨状を目の当たりにしたとはいえすぐに捨ててしまわなかったのは、私の私物に対する仕打ちを悩んだ彼女なりの配慮だったのだろう。
「というか、捨てて来ます。丁度私の自治体で燃えるごみの日ですから――まだ間に合います」
私は地球時間に合わせてある懐中時計を見た。現在、午前七時である。
カビまみれをいつまでも師匠に持たせるのは忍びないので、私は手を伸ばして袋を受け取った。
「あと、何か食うものを買ってきます」
「ほう」
師匠は眉をくいっと上げた。
口は尖らせたままだったが、口角だけがヒクリと上がるのを私は見逃さなかった。
「宜しい、一刻も早く頼むね。おにぎりがいい」
彼女は唐突に機嫌を直して、昆布味!と叫ぶと、颯爽と部屋を出て行った。
私はホッとして、前を隠していた布団を床に落とすと、カビ袋をしげしげと眺めた。
カビカビ言うが、これは本当にカビなのだろうか。
私は袋をつまんで中を改めてみたが、確かに師匠の言うとおりの惨状だった。
そういえばどこかで採取した歪な形の茸を中に放置していたかもしれない。
私はそっと袋の中の臭いを確かめ、二秒後には自己嫌悪に陥り猛烈に後悔しながら地球の服を探した。
――裸同然で、私は何をしているのだ。
「大いに宜しい。本能の領域で動いてしまった後に、
理性の領域に戻って自己嫌悪に転げまわる。
これぞゲドゥラーに根をもつホドの働きではないか」
師匠の言いそうなことが頭に想起され、私は余計に悲しくなって乱暴に袖へ腕を通した。
かくして、私は集めたものを本当に全て諦めることとなり、手元にはあのおかしな石が残るだけとなった。
こうなったら本当のわらしべ長者のように、着の身着のまま交換用のものを一つだけ持って旅をするスタイルもよいかもしれない。
私は鍵をまわし扉を開けて、ゴミ捨て場へ原因不明のカビの塊を出してくると、師匠の部屋へ買ってきた握り飯を五つほど投げ込んだ。
それから急いで自分の部屋に閉じ籠って物入れを引っ掻き回した。
師の教えてくれた「瞑想にて探す」という方法を、副業でも試してみようと思ったのである。
この石を必要とする誰かを、特定まではできずとも絞り込むことが出来れば、交換の効率も、魔法の修行としても、よい結果が得られるのではないだろうかと私は考えた。
木を使った瞑想は万能と言っても過言ではなく、師匠の得意技でもある。数年前に私を拾ってくれた時にも、瞑想中に通りかかったと話していたくらいである。
「黒布、凹面鏡、アブラメリンの香」
独り言を漏らしながら道具を揃える。
私は自室の奥に与えられた魔術部屋へ入り、閉め切ると設置を開始した。
クロスをかけた魔術台の上に黒い凹面鏡を立てかけ、手前にはあの黄色い石をのせた銀の器を置く。
台の前には固くてしっかりとした材質の椅子を据え、しっかりした姿勢を保てるよう万全の状態を作る。
これで準備は完了、あとは再び淋浴で身を清めて青色の布を被り、香を焚いて鏡面に意識を集中すれば内なるヴィジョンが活動を始めるのだ。
さあ、今度はこの石が、魂の修行にどんな栄えを齎してくれるのだろうか。
聖別の支度を始めながら、私は次なる物々交換への期待を膨らませたのであった。
- 続く -
2011-11-19
あとがきです。
メンドクサイ人が出てきました。本編の主人公はあの師匠です。
調子がいいと、嬉々としてもっと長々しゃべりだしますよ。
すべあ