-ゲドゥラーの鍵と扉-
住み暮らしていた街から町へ、慣れ親しんだ邦から国へ、日々移り行くのは人の常。
だが住み暮らしていた故郷から惑星へ、慣れ親しんだ世界から宇宙へ、次々渡り歩くことができるのは私――「星間取引商」の特権といえよう。
十年以上前に、おかしな鍵を手に入れたことで私の地球人生活は終わりを告げた。
おかしな鍵であるから、開けることのできる扉もまたおかしな愛すべきものであったのだ。
ぐいっと挿し込んでガチャリと回し、そして両手でゆっくり押し開ければ、文字通りの「別世界」にポンと出ることができる。
どうやら出先は同じ宇宙の何処かの星であるようだ、とそこまではなんとか掴めたのだが、それ以外の謎はとんと解けぬまま今に至っている。
はっきりしているのは、これを使えば宇宙をまたに駆けたワープ機能の恩恵に与れる、ということだけである。
何故私だけがこんな能力を持ったのか、何故こんなことが出来るのか。
剰りにスケールの大きな未知の諸力に呑まれかけ、自らの命を絶とうかという天秤にかけるところまで思いつめた私を救ってくれた愛すべき師匠でさえ、その理由は解らないというからお手上げだ。
師匠は近代魔術を探求する女魔術師であり、とても頭のよい人物なのだ。その彼女にわからぬ謎を、私が解ける筈がない。
フェロペ・アストレー。
私の人生を語るうえで、彼女の存在は切っても切り離せない重要な位置を占める。
それは彼女の思想体系そのものが現在の私の行動理論の殆どを支配しているからでもあり、命を救われて以降の私の立ち位置が、彼女の部下という名の「手駒」だからでもある。
頭の良い、と述べたがそれは説明不足かもしれない。
師匠は頭のつくりが尋常でないふしがあり、私程度では何を考えているか判別しにくい、と言うべきだろうか。
だが世界の仕組みを示す「カバラー」という思想に精通しており、その流れに従って術を行っていることだけは確かだ。
ここで話を戻して結論から言わせて貰おう。
わけがわからぬとしても、私の持った特異な力は悪いものではないらしかった。
師によれば善悪とは物事の属性を指すのではなく、状態を指す概念だからだそうだ。
つまり私が姑息にも異星で盗みをはたらいてこの扉でドロン、という使いかたをすればそれは非常に解りやすい「悪」の状態になるが、
例えば死ぬ前に冬が見たいと呟いた南国の老人の枕元へ雪を盛ってやるのはどうだろう。
そう悪くはない。善き、とまではいかなくともなかなか奥ゆかしい使い方であろう。
善悪に於いて百パーセント、誰もが納得する判断を下すことは不可能である。だから私は師匠の教えに忠実に従い、己の中の「愛」に基づき動くことにしている。
例えば誰かが望むならば、見たこともない宝物を惜しみ無く差し出す。
そして引き換えに彼を煩わす余計なお荷物を、がらくたを貰うのだ。
なに食わぬ顔でその星とおさらばしたら、また別の星へお邪魔をする。
するとそこでは、がらくたとして貰ったものに信じられない希少価値がつく。あるいは、そこにない技術を流入する切っ掛けとなる。
思いもよらぬドラマが待っていることもある。
つまり私はわらしべ長者の如くに物々交換を繰り返し、連なりが織り成す"魔法"を楽しみにしているのである。
楽しみ、否。仕事の一環と言っても過ぎはしないであろう。
幾人もの想いを継ぐ扉、他の誰にも真似は出来ぬ。これは私にしか達成できぬ魔術なのだ。
アーチをくぐり行き着く先で途方に暮れた誰かが立ち尽くすのを見つけたならば、私はこっそりと手伝いをする。感謝も称賛も貰ったものであれば有り難く受け取るが、本当の目的はそこにはない。
私のすることはただ一つ。
謂わば対照表――この物々交換記のことであるが、これに交換の軌跡を書き込み、物々をつきあわせることで生まれる物語を保存するだけである。
師が世界の役割を振るうえで私に見た適正は「保存」と「維持」。
従ってモノたちとの出逢いと別れは繋がり巡り、私を私たらしめる本質である魂に潤いと栄を与えてくれる。そうして練り上げた魂が、いずれ往生を遂げて肉体から開放されるとき、人間は世界の真実と一体になることができるという。
それこそが、私がこの日も傘をさして、どしゃ降りの異星街道をふらりふらりと歩んでゆく所以なのであるが。
私は今日の商売を成功させるにあたって、致命的な問題を抱えていたのだ。
- 続く -
2011-11-19
あとがきです。
カバラーって、興味ない人から見たらわっけわからないんでしょうね。
作中に取り扱った京極夏彦はとても偉大です。
簡単に言えば、主人公がモノとモノを交換したり、魔術の師匠に叱られたりする話です。
一話と二話は説明チック。自分で言うのもなんですが、面白くなるのは師匠が怒ってる第三話以降だと思います。
すべあ