-牧羊犬役の副主将 穂積 春彦(ホヅミ ハルヒコ)-
「天かす……天かすってスーパーで売ってる?」
「赤くない紅しょうが……矛盾していませんか」
トージが貸した携帯電話の画面と睨めっこをしながら、ヨシアキとヤノが大騒ぎしている。先程マリヤマから送られてきたお買い物メモのメールを見つめては一々はしゃいで、全く困ったものである。
トージは昔から買い物に慣れており、既に新鮮味を失っているので、たかが食材探し如きでキャッキャと喜ぶ二人には呆れるばかりだ。
「天かすなんてどこでも売ってる。紅しょうがの赤くないのは、人工着色料ナシのってこと」
三人は現在マリヤマから指定されたスーパー「ホヅミ」にてピンク色の買い物かごをぶら下げうろついている真っ最中だ。
パーティ料理に使う食材の購入を頼まれたのである。粉モノが得意だというマリヤマが腕をふるって作ってくれる料理のため、トージたちは勇ましくスーパーへ足を踏み入れた次第だ。
売り物を探して売り場を放浪すると、小さな頃から母親にくっついて買い物に行ったことを思い出す。今日だってトージ一人だったならばすんなり済ますことができたのだが、お使いを頼まれたと聞くなり、目の色を変えて興奮しだした子供が二人も居た。
「お使いだって!行く行く、オレも行くよ」
「僕もお供させてください、わくわくしますね」
はじめてのおつかい、というわけである。二人ともが必要以上に乗り気になってしまったもので、トージも一人でいいとは言い出せなくなってしまった。ただし彼らの暴走を止められる自信はないので、引き続いてツバキにも来てもらうことになった。
「真面目に探せ。しないなら黙れ」
やはりビシッと言ってくれる。
知り合ってまだ一日の先輩を御者役に利用するのは心が痛むが、トージは集中して買い物をしたいのだ。ところが始めは好調だったツバキ作戦も、そのうち二人が調子に乗り始めると効果がなくなった。
ヨシアキは油断するとお菓子をカゴに入れてくる。ヤノは眼を離すと食品の成分表示を熟読し始める。その度に菓子を棚へ戻たり、引っ張ってきて現実の世界に引き戻してやったりと、トージの仕事は非常に多い。そうこうするうちにツバキは何処かへと消えてしまったし、近所のおばさんの集団には笑われるし、女子高生にはじろじろ見られるし、もう嫌である。
「なんだよトージ。なんでそんなに冷めてんだよ」
ヨシアキはノリが悪いとばかりに唇を尖らせ、文句を垂れ流す。お使い一つでそんなに楽しそうな理由を、逆にトージが聞きたいくらいだ。
「マリヤマさんとの約束の時間まであとちょっとしかないんだぞ。少しは急ごう」
「ええ?四十分もあるのに?」
「あと数分もすればレジが行列だ。主婦がいっせいに買い物に来る時間帯だから、渋滞に巻き込まれたら時間なんかいくらあっても足りないよ」
「そ、そうなんですか」
途端に慌て始めるヨシアキとヤノ。少し大袈裟に言い焦らせようとしたけれど、強ち言い過ぎではないのだ。
夕方のスーパーは、混む。行列に時間をとられるのだけは勘弁だ。
「じゃあ、急がなきゃ!」
ヨシアキとヤノを懐柔した後は、簡単だった。
「トージくん、茹でタコってこれですか」
数分後。取って来い!と玩具を投げられた犬のように、ヤノが嬉しそうに持ってきた発泡のトレーの中身は、茹でタコ頭の外国産だった。惜しいけれども違う。
タコ焼きを作るからには、マリヤマが求めるタコというのは頭でなく足の部分に決まっている。
「タコの足なかった?あと、産地は日本産の方がいい。ないなら、外国産でもいいけど」
「トージ!エビあったよ!」
ヤノを生鮮コーナーへ送り返したと思ったら、今度はヨシアキだ。
しかし彼が持っていたのは、冷凍ブラックタイガー。エビフライやエビチリの常連さんである。こんなに大きなエビを、どんな風にタコ焼きに使えというのだろう。
否、完全にトージの説明不足だった。買い物自体を知らないのだから、仕方がないと思うべきである。
「ごめん、僕が悪かった。マリヤマさんに頼まれてるエビは、乾物コーナーの桜エビのことだよ」
指示を飛ばしながら指定どおりの紅しょうがをカゴに放り込んだ。ヨシアキはそっかーと叫んでUターンをすると、ドタバタ走ってヤノの後を追っていく。
スーパーの棚並びをよく知らないヨシアキたちは、食材を探す作業こそ間違えたり手間取ってはいたが、根気強く教えると大方の材料を集めてくれた。あっという間にカゴは埋まっていき、あとはエビとタコ、そして薄力粉に牛乳だけだ。
トージは一番近くに棚がある薄力粉から攻めていくことにした。
「まずは粉……粉コーナー」
メモには「高級薄力粉」とある。マリヤマの望みの粉が見つかればいいのだが、と粉製品棚へ迷い込むと、丁度脚立を抱えた若い男の店員が居るのが見えた。
商品を入れ替えるところである。
わからなかったら、遠慮なく店員に聞けばいいのだ。恥ずかしがって声を掛けられない客というのは意外に多いものだが、買い物をスムーズに終わらせるコツはとにかくわからなかったら聞く、それだけだ。
「えっと……」
トージはひとまず棚をざっと眺めてみる。お馴染みな黄色い袋の小麦粉シリーズやプライベートブランドの安価なものが並んでいて、需要の少ないすいとん粉や餅粉は一箇所に固められている。
探してみると、高級薄力粉はそのさらに隅、店員とダンボールと台車に隠れた位置にあるようだ。黙々と入れ替え作業を続ける店員の表情は余りよく見えず、なんとなく近寄りがたいオーラを放っているように感じたが、トージは咳払いをして気を引いた。
「――ん?」
店員は振り返った。広めの柄付きマスクをしていたが、トージたちと同じような年齢だろうとわかった。
もしかしたら臥柳高校の生徒が、アルバイトとして働いているのだったりして。先程、グローブと靴を買ったお陰で大きく散財してしまったから、もし可能ならばトージもここで雇って貰えたりはしないだろうか。
両親に無理を言いスポーツ推薦のチャンスも蹴ってこの高校を選んだトージの身からすると、親の仕送りだけに頼り続けるのは気が引ける。
せめてソフトボール部にかかる費用くらいは自分で賄えるようになりたいのだ。
「いらっしゃいませ!」
店員は元気に叫ぶと、十五度のお辞儀をして脚立から降りた。
そうだ、粉について訊かないといけなかったのだ。
「あの、ちょっと高級めな薄力粉が欲しいんですけど」
「高級薄力粉!……ならば、特宝絹とバイオレッタがありますが!」
教えてくれたのはいいが、声が大きい。彼の第一声を聞いた際にも元気だなあとは思ったが、最早そういう表現を超える程の声の大きさである。
それに――目も特徴的である。ツバキと同じ、いやそれ以上にジリジリ灼けそうな眼力だった。トージは気圧されながらも礼を言う。
「あ、ありがとうございます。じゃ、その二つのうち安い方ください」
「ああ、だったら特宝絹ですね」
店員はすぐ傍らの棚から粉の袋を取るとダンボールを跨ぎ、こちらへ移って渡そうとした。
ところが、トージのカゴの中身に目を留めるや否や突然動きを止めた。
「おっ!」
耳元でのマックスボリュームは流石に堪えた。
頭の奥でキーンと金属質の音が鳴ったが、トージは何事もなかった風を装い一歩だけ下がった。そうする間にも、店員はくるりと踵を返して、高級薄力粉の棚のところまで戻ってしまう。
「どうしたんですか?」
不安になって訊ねると、店員は物凄い眼力で、
「タコ焼きならスーパーバイオレッタですよ!」
と叫んで粉の袋を別の種類のものと交換した。
「わかるんですか?」
どうしてタコ焼きだとわかったんだろうか。トージのカゴに入っているのは卵と青海苔と紅しょうが、鰹節、昆布にネギに天かすだ。
まだタコもカゴに入れていないのに。
と。
呆然としていると、いたいたというヨシアキの声が聞こえてきた。
「トージ、ちゃんと桜エビ見つけたよ!」
小さな乾燥エビが沢山入った乾物袋を掲げ、得意げに走ってくるヨシアキ。続いて、息を切らしたヤノも、大きめの発砲トレーを大事そうに手に乗せ現れた。
「日本産の茹でタコ足、ありました」
二人が食材をカゴへドサリと入れるのを見て、店員はうんうんと頷いた。
「やはりタコ焼きか」
マスクの向こうで自慢げな顔をする。
そしてスーパーバイオレッタというらしい粉の袋を持ってくると、比較的柔らかいタコやネギを退けて、カゴの一番下へストンと入れてくれる。
潰れてしまわない様に気を遣ってくれたのだ。
「これでよし。完璧ですね」
カゴの中をちらと見ただけでメニューを当てるとは、凄い店員もいたものだ。
彼は胸を張って仁王立ちしながら、お会計はあちらですと、ご丁寧にレジまで示して教えてくれた。
「ありがとうございました」
この店員さんは生徒のアルバイトではなくて社員なのかもしれない。余計なことを考えながらトージは棚を後にして、買い物メモを確認した。
そして、牛乳を忘れていたことに気が付いた。
「あ、牛乳の売り場行かなきゃ。端っこの方」
独り言のように呟き、踵を返した時だった。
「待て!」
突如ビリビリと鼓膜が震えるような声がして、同時にトージとヨシアキの肩は、ごつい大きな手にがしりと掴まれていた。
気を抜きかけたところに与えられた大ショックに、ヨシアキはヒィイ、と甲高い悲鳴を上げる。トージも心臓が止まりそうな程驚いたのだが、驚きすぎて声が出なかった。ヤノに至っては眼鏡を吹っ飛ばした。
煩さに鼓膜がまだジーンと震えているのに留まらず、頭蓋の骨まで細かい振動が伝わってガンガンする。もうトージの頭は何が起きたのか把握しようとする努力さえ忘れてしまったようだ。
そのまま無抵抗に、ぐいっと捻くられるようにして無理やり振り返らせられた。
待て、と叫ばれた際の声でわかっていたようなものだが、居たのは矢張り先程の大声店員だった。厳つい体にマスクに眼力。真正面から見ると威圧感が十割増しだ。
「わかったぞ。お前たち、マリヤマの使いだな!」
「えっ?」
会ったばかりの店員の口からよく知った名を聞かされ、トージは完全に思考を停止させた。
「この界隈で牛乳を使う本格タコ焼きマニアは奴しかいないのだ。そうだろう、んん?」
怒られているのか、同意を求められているのか、最早判断できないくらいの怒鳴り声である。
辛うじて、言われていることの意味だけ理解できたトージたちは、カクンと首だけ動かして頷く。こんな大声を出されると人目が気になるところだが、ちらりと周りを見てみると、ご近所の主婦グループは微笑ましげに会話を交わしていた。
あらあら、また息子さんのハルヒコちゃんが。
いつも元気よねえ。
ほんとにお友達が多いわねえ。
そんな会話が耳に入った。おばさんたちには、もう慣れっこの光景らしい。
「よく見ればその袋はダイダイスポーツか。ははあ、話が繋がったぞ。さては――お前たちが元天才の、ソフト部新入部員なんだな!」
店員はトージの胸にガツンと指を突きつけて怒鳴る。繋がったと合点されても、トージたちの思考の回路は何一つ繋がることがない。
あまりに強い、レーザーのような視線に困り果てたトージは、店員の顔をまともに見られなくなった。彼のエプロンに取り付けられたネームのプレートに目をやると、ホヅミハルヒコ、と書いてある。
もしかして、このスーパー「ホヅミ」と関係が?
と、そう思った瞬間だった。
「なんだ、ここか、ハル。声が大きいぞ」
ひょこりと彼の背後の棚から、ツバキが顔を出し。
「なんだお前たち、もう会ったのか」
と、怯えるトージたちを眺めて珍妙な顔をしたのだ。
「ツ、ツバキさん――痛てっ」
ヨシアキがあからさまに助かったという顔をしたので、トージはその手の甲を抓った。探し損だ、とツバキは愚痴りながらも、トージたちの肩を握り締めたままの大声店員を引き離そうとし始めた。
「ハル。い加減離れてやれ、怖がってるぞ」
「なに!」
ツバキの言葉で冷静さを取り戻した店員は、漸く手を離してくれた。トージたちはやっと呪縛から開放され、息を吐きながらよろよろと後ずさる。ヤノは手探りで探していた眼鏡を棚の下から救出して掛け直した。
今日は眼鏡が飛ぶ日である。
「あ、あったあった――あの、何事です?」
「今紹介する」
ツバキは仁王立ちの店員の肩へ手を置いた。
「ソフト部副主将の、ホヅミだ。守備は捕手。探して来ようと思っていたんだが、まさかお前たちが先に見つけてしまうとはな」
呑気に頬を掻くツバキ。
説明も無しにいきなり怖い想いをしたトージたちはへなへなと脱力してしまった。ホヅミは不思議そうにトージとヨシアキ二人の肩を叩きながら、
「おい、どうした。そうとわかればさっそく行くぞ、マリヤマが待っている」
とカゴを引っ手繰り、レジへ行くと勝手に詰め始める。
彼の「これは部活に持っていくから」という呪文で、会計をせずに素通りして店を出ることができた一行は、茜色に染まった住宅街を四人で急ぐこととなった。
「あの、捕手ってことは、ツバキさんが言ってたもう一人のミズノ使い?」
暗くなりかけた道、重いレジ袋を揺らして歩きながら、ヨシアキが訊ねた。
するとホヅミは上体を反らし、鼻から息を吐く。喋る前にいちいち胸を張る癖があるようだ。
「そんなことまで聞いていたのか。いかにも、俺は、赤と銀の【ビクトリーステージ】使いだ!」
やっぱりそうだ、とヨシアキは嬉しそうな顔をした。もう一人のミズノ使いのことが密かに気になっていたのだろう。
「家へ着いたら見せてやろう」
わあいと喜ぶヨシアキ。
現在トージたちは予定を変更して、ホヅミの実家へ向かう真っ最中である。マリヤマの寮部屋を使うのは、キャパシティ的にも無理であるという結論に達したらしい。パーティ会場は急遽ホヅミの実家に移されたのだ。元々農家だったというホヅミの実家は、土地は広いし隣の家までの距離もあり、つまり男子十名が夜遅くに騒いでいてもなんら問題はないそうだ。
恵まれた環境である。
「ところで、新入生たちよ」
ホヅミは思い出したように手をポンと叩いた。
「俺はテレビを見ないから、お前たちのことをよくは知らん。自己紹介をして貰いたいのだが構わんか」
そうだった、とトージは今更ながらに思った。
出会いが衝撃的すぎたために、すっかり名を名乗るタイミングを逸していたのだ。言われなければ、思い出すことさえなかっただろう。
トージは慌ててかしこまった。
「コマノです。レフトをやってました」
「アカリです。一応、ファースト希望で入ってますっ」
「ヤノです。初心者ですが宜しくお願い致します」
「ツバキ ヨウスケだ。セカ――」
「おお、礼を言うぞ」
トージたちがそれぞれの名前と身分を名乗り、続いて折角ツバキがボケたのに、ホヅミはそれを完全無視でトージたちの顔をじっくり眺める。
「ほほう、三人か」
感嘆符ですら大音量で発音をするという徹底ぶりに、トージは感動さえ覚えた。
ボケをスルーされたツバキが、一瞬悔しそうな顔をしていたように見えたのだが、副主将はお構いなしに話を続けた。
「コマノにアカリか。よく考えたら新聞か何かで見たことがあったかもしれんな」
テレビは見ずに新聞を読む。
時代と年齢を考えると珍しすぎるタイプの人間だ。野球中継なども見ないのだろうか。
「ふむ、だが顔にそれ程特徴がないから解らなかった。それにそもそもヤノは知らん」
酷い。
歯に衣着せず、グサリとくる物言いである。正直な人だと表現するべきなのだろうか。悪い人でないことだけは、間違いがないのだが。
「そうだ、ひとつ思い出したぞ」
ホヅミは、トージにビシッと指を突きつけて怒鳴った。少しでも油断をするとこうなったときに驚いてしまうから困るのだ。こうして彼に指差されると、意識せずとも背筋が伸びてしまう。
「な、なんですか」
「確か、イチローのレーザーみたいな真似をするとか記事に書かれていたな。本当にできるのか」
そこまでは知っていてくれたのだ。
「ハイ。出来ます、得意です」
レーザービーム。それがトージの売りだった。
どこまでもボールを追いかけ、追いすがり必ず捕る。そしてホームベースを睨む。ホームに向かってランナーが三塁を蹴るのを見た時、トージのレーザーは放たれるのだ。
どれだけ距離があっても、ランナーが俊足だろうと、絶対に諦めてはいけない。逆境であればあるほど、トージの使命感と勝ちたい気持ちが増幅し、力となって全身を流れ駆け巡る。点を入れさせてなるものか、という強い意志と体の呼吸が合った瞬間に、全身の筋肉という筋肉をバネのように使ってしならせ、捕手へ向かって弾くのだ。
スピードに乗った球は小気味良く唸りをあげて空を切り、捕手ミットの中心へ吸い込まれていく。相手が気付いた時にはもう遅い。白球を持った捕手のミットが足へタッチしているというわけだ。
「楽しみにしているぞ。記事を見たときには、捕手として是非ともあれを受け、走者を刺したいと思ったものだ」
「ホ、ホントですか。光栄です」
レーザーを売りにしてきたレフトとしてこれ程嬉しい台詞はなかった。トージは今までの辟易も忘れ去り、一気にホヅミを頼もしく思う。
調子がいいと言われればそれまでかもしれないが、俄然やる気が出てきたところである。
「じゃあ、思いっきり投げますから。敵のチャンス、ガンガン潰してやりましょう」
「いい返事だ。どんな球でも受け止めてやるぞ!」
愉快そうに胸を張るホヅミ。
ヨシアキとツバキ、そしてヤノは、変り身の早さに呆れてものも言えない、といった表情で、トージたちを眺めていたのだった。
「ところで、ホヅミさんって」
ホヅミの自宅まであと数百メートル、という川辺まで来たとき、ヨシアキが唐突に口を開いた。
「なんだ!」
「花粉症なんですか?」
「花粉症?」
そういえば、彼の着けている幅広柄付き布マスクは一体何のためのマスクなのだろう。アルバイトの最中衛生面を考えて着用しているものかと思ったのだが、今も変わらずに着けている。
単純に花粉症なのかもしれない。
と、思ったが即座に否定されてしまった。
「俺は健康そのものだぞ。何故そう思った?」
マスクで表情が読みとれないが、ホヅミはきょとんとしているようだ。じゃあなんでだ、と逆にきょとんとし返したトージたちに解り易い説明をしてくれたのは、やはりツバキだった。
「こいつのマスクは縁起担ぎだ」
「へえ!」
トージは一瞬で諒解した。
縁起担ぎならば頷ける。信じる信じないは別として、ジンクスやゲン担ぎを気にするスポーツマンは案外多いものである。
あるプロ野球監督が退場宣告を受けると、その日はチームが勝利するという不思議。
試合前に必ずアイスを食べて臨んだボクシング世界チャンピオンは、アイス抜きの試合で負けた。
サッカーの神が選手の活躍予想をすると、逆に作用して大変な騒ぎになるというジンクスもある。
ただの癖のようなものから大掛かりなものまで様々ある。ホヅミの場合はそれがマスクというわけだ。
「中学一年生の頃だったか。万年スランプと言われる程に俺はソフトボール部のお荷物でな、悩んでいた。だがある試合で砂を吸い込んで喉を痛めて、それでマスクを付けたら何故か調子がよくなった。以来、寝るときと風呂に入るとき以外の瞬間に、マスクを外すと必ず悪いことが起きる体になってしまった」
なんだそりゃと思わず口に出しそうになり、トージは危なく思い留まった。
いくらジンクスと言っても、極端すぎないだろうか。
「そんなに長い間着けてなきゃいけないんですか?」
「一瞬でも外せばだめだ」
「そりゃ、不便ですねぇ」
ヨシアキの関心は既にマスクにしかないようである。一方、ヤノも暗い中で手帳を取り出して必死にメモをとっている。何に使う情報なのだろうか。
「どうやって飯とかおやつ食ってるんですか?」
ヨシアキの質問は尤もだった。正直に言うと、それはトージも気になっていたことだ。
ヤノも息を殺しているところを見ると、恐らく息を止めて重大な情報が飛び出すのを待っているのだろう。
「お前たち、そんなことが気になるのか」
急に注目されて戸惑いながらも声のトーンを落とし、ホヅミはボソリと言った。
勿論気になる。昼食はどうするのだろう。そもそも今から行われる予定のタコ焼きパーティはどうやってこなすつもりなのか。ところがホヅミはトージたちの熱視線を受け流すと、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「秘密だ。教えん」
「そんなぁ」
ヨシアキは露骨にがっかりした。勿体をつけておいて突き放すなんて、ホヅミも酷である。
更にはツバキも輪をかけて、
「知りたいことがすぐに知れたらつまらないぞ」
と宥めるように言いだす始末だ。
ツバキならば、何か秘密について知っているに違いない。だが、訊く勇気はトージにはなかった。
「おい、そんなことより川向こうを見ろ!」
ホヅミは態とらしく話題を変えた。
見えてきた川と橋を指差してでかい声を出したのだ。
「もう俺の実家に着くところだ」
解っていながらも、哀しいかな、勢いにつられて首をそちらへ向けてしまった。暗闇の中で目を凝らすと、木の間から瓦の屋根がのぞいて見える。
「うわあ、大きい家じゃないですか」
少し前まで、この辺りは石塀とアスファルトに整然と囲まれた住宅地だと思っていた。だがそれは間違いで、実際のところは川を境に緑と茶の自然的な風景が増え、一戸一戸の敷地が広くなっている。建っている家屋も少し昔からあるような和風のものが目立っているのだ。
「俺の実家ではもう農業はやっていないが、この通り土地はあるし家も少々大きめだ。この辺りはみんなそうだ」
橋にさしかかると、ホヅミの家の全景が見えた。縁側つきの立派な二階建てだ。蔵、農業用の機械が入っていたであろう倉庫、そして空き地。
「あの空き地は、元は葱とかを育てる畑だったのだ。今は時々練習で使うから覚えておくがいいぞ!」
「うわっ」
またも突然の大声だ。それでヨシアキがよろける度に、トージはハラハラしてしまう。二つに分けた買い物袋のうち、ヨシアキは卵パック入りの方を持っている。卵があるならばそっと丁寧に持ち運ぶのが普通だが、買い物を知らずに成長したヨシアキに常識が通用するかは不明だ。
だからこそトージは彼に持たせたくなかったのだが、ヨシアキはごねて強引に奪ってしまったのだ。
「おい、卵をぶつけたら承知しないぞ」
非難するようなツバキの声が飛ぶ。
「食材を傷つけるなよ。自分じゃそれほど自覚をしてないが、料理に関してあの投手は厳――」
彼が言いかけたとき、川の向こうのホヅミ邸で何かを察知したのか、トージの携帯電話に着信があった。
マリヤマからである。
皆、思わず黙った。トージは恐る恐る、出る。
「も、もしもし。マリヤマさん?」
「やあ、そこまで来たんだね。声が聞こえるよ」
聞こえてきた優しげな声に、思わずほっとした。
電話の向こうで微笑む投手の姿が目に見えるようだ。状況としては恐らく横にミナヅキが居て、電話主へとちょっかいを出しているのだろう。調子の外れたわめき声とキタジマの笑い声、そして誰かが控えめに嗜めている声も聞こえる。
「マリヤマ!あと二分で着くぞ!」
トージが何か返事をするより先に、ホヅミが電話口に向かって怒鳴った。耳が破壊される心地だ。君の声は直接縁側からこっちに聞こえてるって、とマリヤマは笑っているが、被害者のトージにとっては笑い事でもなんでもない。
耳の穴を副部長に向けてはいけないのだと理解したトージがぐいっとホヅミ邸の方を見てみると、丁度、スッと縁側に面した障子が開くところだった。顔を出したのはミナヅキで、こちらに気付くと手を振ってきた。そのまま外へ出ようと靴を探して――と思ったら、伸びてきた誰かの手によって中へ引きずり戻されていった。
電話の向こうでぎゃあぎゃあいう喧騒が聞こえるが、マリヤマは気にせず話し続けていた。
「準備はばっちりだよ。みんなも揃ってるし、鉄板を熱くして待ってるから」
かくして、トージたち一年生三人組の入部と、部の存続を祝うタコ焼きパーティは幕を開けたのだった。
- 続く -
2011-11-01
あとがきです。
猛烈にタコ焼きが食べたくなりました。
最後のミズノ信者が登場しました。
ジンクスはブラウン監督、具志堅さん、ペレの順番です。
ブラウンとペレのジンクスは既に破れてたかな。
すべあ