-過去の遊撃手 仰木 翼(オウキ タスク)との対峙-
入部を心に決めた翌日。トージたち新入生はこの町唯一のスポーツ用品店へ向かっていた。
ソフトボール用のグローブとスパイクを買いに行くことになったのである。野球用の用具は持っていたが、辞めるのを機にダンボールに封印してしまっている。勿論、そのダンボールを開ければいつでも取り出すことはできるのだ。
だが気分を新たにする意味で、トージとヨシアキは道具を新調しようと決めた。
「ああ、ドキドキします」
ヤノが眼鏡を上げながら呟いた。スポーツをするのが初めてだという彼は自分用のグローブを持ったことがなく、買うにあたって緊張のど真ん中に立っているのである。
「ぶ、ブランドは何にしようかなあ」
スポーツ用具のブランドは夥しい数ある。ミズノやナイキといった有名どころから、一点もの製作の会社まで幅広い。つまりは洋服やら靴等のブランドと似たようなもので、自分に合うものを見つけるのが重要だ。
「今から悩むんじゃない。実際に嵌めてから悩め」
ツバキが最もな意見を言う。
この町の勝手がわからないトージたちに案内がてらついて来てくれたのはいいが、相変わらず難しい顔をし通しである。ただ、顔が怖いけれども面倒見は良いようで、ぶつくさ言いながらも自らガイド役を買って出てくれた。
本当は優しくて穏やかなマリヤマ先輩にも居て貰いたいところだが、彼はトージたちの入部祝いのためのパーティ設置で忙しい。
適当を極めたようなキタジマ先輩はしらばっくれて消えてしまったし、ミナヅキに至っては先輩だろうが破天荒すぎて頼りたくない。
結局、トージの縋れる顔見知りはツバキだけだった。嫌いというわけではない、寧ろ人間性は好きなのだが、彼と話す瞬間は未だ緊張が走る。やはり怖い。ぎこちない会話をぽつぽつと交わしながら、トージたちは二階建てのそこそこ大きなスポーツ品店である「ダイダイスポーツ」に辿り着いたのだった。
「痒いところに手が届く、いい店だ。ソフトの用具は二階にある」
橙色の看板を掲げた建物の外観を見上げて、ツバキは教えてくれる。
目的地に到着したとあって、ヨシアキはもういてもたっても居られないようだった。元来落ち着きのない性格なのだろう、さっそく自動ドアへ駆け出した。
が、開いたドアに飛び込んだ瞬間。
「ふぎゃっ!」
変な叫び声をあげて、跳ね返されてきた。
ヨシアキは尻餅をつき、ぐにゃりとへたり込む。食べていた飴を中途半端に飲み込んでしまい、胸をドンドンと叩いて出そうとしている。
「おい、どうした」
トージとヤノ、ツバキは急いで駆け寄る。顔を青くし苦しむヨシアキはいいとしても、何にぶつかったのか見ようとしたのだ。覗き込むと、自動ドアの内側にも人が尻餅をついて俯いていた。
ヨシアキが慌てて飛び込んだ瞬間に、店を出ようとしたこの人物とぶつかったのだろう。身体の柔らかいヨシアキよりも、突然ぶつかられた彼に怪我がないか心配だ。
「何やってんだよヨシアキ!あのう、こいつがどうもすいません」
トージはヨシアキを叱りつつ、座り込んでいる人物を助け起こそうと近寄る。彼は激しい衝突によって何か落とした様子で、手探りで床を調べている。
「大丈夫ですか」
「いえ、ちょっと眼鏡が、っとと」
眼鏡は彼のすぐ傍に落ちていた。
しかし周りの見えない彼が、危うく膝で眼鏡を叩き潰しそうになるのを見て、咄嗟に掻っ攫った。
「おっと!眼鏡ありましたよ。どうぞ」
「ああ、どうも。見えなくて……」
彼はトージの差し出した眼鏡を見ようと、眉をギュッと顰めながら顔を上げて。
直後、トージたちは仰け反るほどに驚いたのだった。
「オウキ!」
真っ先に反応したのは、ツバキだった。
オウキ タスク。同学年にもう一人いた「挫折者」とは紛れもなく彼のことである。ソフトボール部入部の誘いを頑なに拒絶し、果てはツバキに対し嫌味満載の暴言まで吐いて追い返したというオウキ。そんな彼が何故、このようなスポーツ用品店に出現したのか。
「うぐっ、えっ――ホ、ホントだ。見た顔だッ」
漸く飴を飲み込みきったヨシアキは、青ざめながらもぶつかった相手の顔を指差す。
ツバキは早足でオウキへ歩み寄ると、手を差し出しながら質した。
「どうしてここに」
彼――オウキは、ツバキの声を聞いて動きを止めた。
鉄の意志を持つオウキも流石に、この状況になっては気まずいのだろう。険しい表情で眼鏡をかけなおし、両手親指の腹でくいっと上げると、差し出された手を無視してサッと立ち上がった。そして、ふいと横を向いてしまった。
「なるほど」
その口調には棘があった。
「結局君たちは馴れ合いを選んだんだな」
その言葉は確実に、トージとヨシアキ二人に向かって発せられたものだった。
「なんだと!」
ヨシアキは憤慨して起き上がる。
昨日、オウキに断られたツバキに八つ当たりされた恨みを思い出したのだろう。
「馴れ合いなんかじゃないよ!」
オウキはぐるりと四人を睥睨した。ヨシアキで目線を止めて、フンっと鼻を鳴らす。
「君がヨシアキかい。噂どおりだな。そそっかしくて貧乏臭い奴」
「なっ――」
青いと思ったら、ヨシアキは今度は顔を真っ赤にした。
トージの胸にも、とこかムカッとくるものがあった。確かにヨシアキはそそっかしいけれども、それだって初対面の相手に言うことではないではないか。
ヨシアキは湯気でも出しそうなくらいに憤慨する。
「あったまきた!このやろ――」
「辞めないか!」
ヨシアキが今にも飛び掛りそうな気配を見せたとき、立ちはだかるように間に割り込んだのはツバキだった。
「落ち着けアカリ。オウキも挑発は止せ」
牽制するような目と暫く睨み合って、オウキはふっと顔を背ける。それから悔し紛れとも言えるような声の調子で、こう吐き捨てたのだった。
「質問にお答えしていませんでしたね。突き指をしたのでサポーターを買いに来ただけですよ。期待して頂いたところ、申し訳ありませんが」
攻撃的な言い様にも、ツバキは微動だにしなかった。
「そうか。そうだな。大事にな」
表情を変えなかったが、低い声だ。
どうもありがとうございますとオウキは言ったが、感謝など微塵も感じさせぬ、撥ね付けるような言い方だった。
「では、失礼します」
彼は慇懃無礼に言うとツバキの横をすり抜け、トージの目の前までやってきた。トージは思わず身構える。
「お前がコマノだな。君ならもっと賢い選択をすると思っていたのにな。どうせ人数が足りなくて廃部になりそうだなんてちらつかされて、情に絆されたんだろうけど。一時の感情に流されて破滅へ向かおうだなんて、間抜けだよな。そこの君もだよ」
と、トージに続いてヤノを指差す。
ヤノは耳を赤くして、ぎゅっと拳を握り締めた。
口は噤んだままである。反論できない、というよりも、何をどう言えばこの疑心の塊に対抗できるのかがわからなかったのだ。
「コマノ。自分から捨てた夢じゃないか。泥舟だってわかりきっているのに、どうしてしがみつくんだ?行き着く先は見えている。後悔することになるね」
「そうかな」
何故だろう。トージは不思議と怒りを覚えることなく、静かに言い返すことができた。
オウキは本心を言っていないと思ったからだ。
彼も昨年までは野球をやっていた人間だ。説得力もなければ理屈にもならないことかもしれない。だが、そんな人間が本心からトージたちのことを「馴れ合い」と切り捨てることは果たしてできるだろうか。
漠然とそんな事を思った。
いや、それ以前に、黙っておけないというのもある。トージたちは次のステップを歩もうとして、また勝負することを決めたのだ。それを頭ごなしに貶されて、黙れるものか。
「泥舟だとは思わない。諦めた夢とかに拘るつもりもないよ。新しい生活を始めるだけだ。過去のことに固執してるのは、お前の方じゃないのか?」
動じないトージにオウキは意外そうな顔を見せたが、すぐに親指で眼鏡を上げるとそっぽを向いて、またもフンと言った。
「俺のことなんか、知らない癖に」
「それを言ったらお互い様。そうだろ」
オウキはもう一度フンと鼻を鳴らして、歩き始めた。手首にぶら下げているオレンジの袋が乱暴にトージの腿を叩き、揺れながら遠ざかっていく。
「ま、眼鏡を拾ってくれたことには感謝するけど」
捨て台詞を吐いて、足早に去っていくオウキの背中。トージたちはやりきれない想いで見つめた。
彼の姿は数秒で角の向こうに消え、見えなくなってしまった。
沈黙が広がり、暫く居心地の悪い空間が漂った。
「コマノ。すまないな」
ツバキは疲れたような顔をして、トージの目を見ずに相変わらずの低いトーンで言う。
「そう思ってくれるなら、部活の皆も喜ぶ。あいつの言ったことはもう気にするな」
「はい、僕は大丈夫です」
トージは頷いた。ところがせっかくツバキと穏やかな雰囲気になったのに、ヨシアキは尚も怒り狂っているようだ。
「あいつ、むかつく!」
ヒステリックな声がビリビリと耳に突き刺さる。
「ツバキさん、どうして言ってやらないんですかっ。オレのときみたいにビシッと」
ツバキは邪魔な蝿を追い払うような仕草でうるさいと一刀両断した。他との態度が全く違う。
「少し声を落として周りを見ないか。そんなだから、せっかちだの言われるんだ」
トージもまさに今、そう思ったところだったのだが、ヨシアキにもの申して元気を取り戻したツバキを目にしてそんなことはどうでもよくなった。ヨシアキは、昨日今日と何かに怒りっぱなしだ。が、そのぷんぷんした様子には、場の空気を変える力があるようだ。
「オウキにも、俺たちと同じく多々あったんだろう。荒むのもわかる。相容れなくとも、理解はしてやれ」
しかし、とトージは疑問に思う。
オウキに対し、ツバキは妙に寛容な態度をとるように見えるのだ。それは優しさというより遠慮か尻込みでもしているようで、違和感を覚えたトージはその時初めて、大きく見えるツバキの身長が意外に誰よりも低いのだと認識した。よく見れば、身体測定で「五十八センチから二ミリ伸びた」と大騒ぎしていたヨシアキと同程度だから、男にしてはかなり低い気がする。但し、口にした途端睨まれるに決まっているので、トージは頭をぶんぶん振って雑念を振り払った。
「出会いに恵まれなければ、俺たちもあいつのようにならなかったとは言い切れん。今はこの状況を幸せに思う、それだけだ」
静かな目は、この問題を終わらせよう、と言っていた。
ツバキの姿勢は不思議でならなかったが、それでも言っていることは至極正しい。
そう。今日は門出の日なのである。ここへ来たのは喧嘩のためでなく、新しいグローブを選ぶためだ。
「そうですね。僕も早くグローブが見たいです」
空気を察したヤノも皆を店内へ入るよう急かしたので、トージは漸く気持ちをリセットして後へ続いた。
それでもヨシアキだけは、最後にものを申さずにはいられなかったようだった。
「あいつの思い通りにだけはなってやるもんか。オレ、ソフト部で超楽しんで、前よりも絶対強くなって、入ってよかったって心から思えるようになりたい。オレたちの選んだ道が間違ってないんだってこと、あいつに力ずくでもわからせてやるんだ」
怒りを原動力に、前に進むための力が生まれる。
ヨシアキはそういう爆発力を持った奴なのだ。
「後ろ向きのようで、前向きか。空回りするなよ」
ヨシアキの急なヒートアップを、ツバキは複雑そうな表情で見つめていた。
「さて。俺が使っているのはこれだ」
ツバキは棚に丁寧に並べられた夥しい数のグローブの中から、ミズノの【ガチ】シリーズを指した。
「色はブラック。キタジマも同じグローブだが、色はこっちの悪趣味なピンクの方だ」
と、隣のグローブを指したツバキ。黒に桃色を重ねたカラーリングは目を引くものがある。
自分で使う気にはなれないが、こんな色を選ぶとはいかにもキタジマらしい。この色はきっと、彼くらいしか似合わないだろう。
「あ、あった!一塁手用ミット」
と、ガチシリーズからそれ程離れていない棚にあった濃い紅茶色の一塁手ミットを持ち上げて、ヨシアキが嬉しそうに嵌めた。
ミズノ【グローバルエリート】である。色の欄には、ローズブラウンと書いてある。種類は他にも沢山あるのにも関わらずその色に一目惚れしてしまったらしく抱きしめるように持って放そうとしない。
「これにする。着け心地いいし」
気が早いなと、ツバキは呆れた。
「ミナヅキも一塁手だということを忘れていないか。お前の動き次第では他のポジションに適正があると判断されるかもしれないぞ。それよりもこっちの、オールラウンド用にしなくていいのか」
「いいんです。絶対、一塁の座はもぎ取りますから。うーん、新しい革はいい匂いだなあ」
ヨシアキは、ミットに鼻を押し付けて革の匂いを吸い込みながら言った。グローブの匂いはトージも好きだ。
野球やソフトの選手でその匂いを嫌いだという人は稀だろう。
ツバキは成る程と言ってヨシアキの手元を眺めた。意味深な笑みを浮かべている。
「ミズノを選ぶとは、なかなか見所のある奴だ。ふふ、これで五人揃ったな」
何の話だろう。トージは純粋な好奇心から質問する。
「揃ったって、どういう意味ですか?」
「ああ。俺とキタジマとミナヅキともう一人、うちの捕手もミズノ使いだから。五人目のミズノ使いだなということだ。ほらヤノ、お前もこれなんかどうだ」
ツバキは適当に茶を濁し、傍にあったオールラウンドグローブをヤノへ押し付けた。
相変わらず、ミズノのガチを勧めている。
「すみません。僕、ローリングにしたいんです」
受け取ったグローブを即座に押し付け返して、ヤノはローリング製品が並ぶ棚へ向かっていく。
ツバキが不本意そうな顔をしたのを、トージは見た。そんなツバキの様子も気にせず、ヤノがじっくりと吟味し持ち上げたのは、橙と茶が入り混じった嫌味のないグローブだ。
「これ。【ダーリン】シリーズRオレンジ×ブラウン。綺麗ですし、形が合います。決めました」
「ローリングか、なかなか手強そうだ」
「手強い?」
今度はヤノが、ツバキの言葉に引っかかるものを感じ訊き返した。ツバキは、しまったという顔で舌打ちをして咳払いでごまかした。
先程からなんだか変である。
「お、俺の話は気にしなくていい。それよりコマノ、お前はどうするんだ。早く選べ」
「僕はとっくに決めてますよ。ウィルソンの――」
何故かヒクリとツバキの眉が動いたのを見ないようにしながら、トージは続けた。
「ウィルソンの、【Pro Staff】です」
置いてあるウィルソン製品にも何種かあったが、プロスタッフに使われているブラック×ブロンドの美麗デザインは秀逸だ。
人差し指にだけブロンド色の太いラインが入るのが格好良く、個性的で洗練されている。持ち上げた感じも軽すぎず重すぎず、トージの手に一体化するような感覚で、今日色々と触ってみた中で一番しっくりきた。
「それでいいのか?」
ツバキは念を押すようにトージの顔を上目でちらりと見て訊ねた。一体どうしてしまったのか知らないが、これがいいと言ったらいいのだ。
「はあ、決定です。いい感じに馴染みそうです」
ふうーん、とツバキは納得のいかなそうな面持ちでプロスタッフを眺め、それから諦めたように肩の力を抜いた。
「わかった。次はスパイクを選びに行くぞ」
結局、トージの選んだスパイクはアシックスの白い【スクープモンスター】で、ヤノはナイキの製品から【エアブラスター】の白×赤をチョイスした。ヨシアキはツバキの強い勧めに従ってか、またもやミズノの【ウェーブフランチャイズ】旧モデルの赤を選んだのだった。
オレンジ色の袋をぶら下げダイダイスポーツを出たトージたちは、ぶらぶらと帰りの道を歩く。この後はマリヤマの寮部屋へ行き、新入生の入部パーティ兼、廃部回避記念祝賀会に出るのだ。
部長や副部長、会ったことのないもう一人の部員と対面して挨拶をするのも、そこまでお預けである。
聞けばマリヤマはタコ焼きやお好み焼き等の粉モノ料理が得意らしく、パーティやら集まりを開く際には必ず彼の料理が並ぶのだそうだ。料理部という予想は外れたけれど、料理好きというイメージは当たっていたことになる。
様々な意味で、パーティが待ち遠しくて仕方がない。ご機嫌で歩いていたトージだったが、
「おい」
というツバキの唐突な呼びかけに、一度叱られているヨシアキ共々飛び上がった。
「違う――お前たちじゃない。ヤノだ、ヤノ」
初のスポーツ用品を購入して足取りも軽く進んでいたヤノは、ニコニコとツバキを振り返った。
「はい、なんでしょうか」
「少し、気になっていたことがある。勢いで入部してくれたまでは有りがたいが、お前には何かプレーの理想はあるのか?」
ツバキは眼鏡の情報通から新米スポーツマンへ進化を遂げたヤノを心配しているのだった。
りそう、と、ヤノは鸚鵡返しに呟いた。
「例えば、ポジションでも役割でも、なんでも良い。あるなら俺に言ってみろ。グローブに、スパイク。その高い買い物を、無駄にさせるわけにはいかない」
ツバキは――ヤノのことまで責任をとるつもりなのだ。
部員が足りないという事態にならなければ、ヤノがこういった形で関わることにはならなかったと思っているからだろう。重ね重ね、律儀な人である。
「そうですね。僕は」
ヤノは五秒ほど考えた。そして、
「理想や目標を立てる段階まで消化しきれていないというのが、正直なところです。足を引っ張りたくはないという漠然とした想いだけはありますが」
と、至極真面目な答えを出した。それを受けツバキはそうだろうな、と頷いた。
ある程度の予想はついていた答えなのだろう。
「急だったからな。だが、それでは困るのも事実だ。なにも責める訳ではないが。単純に、一番遅い奴に合わせる訳にいかないのが、チームプレイの側面というものだからだ」
「はい、心得てます。僕もそれが悩みどころで」
立場が変われば、一体どこから手をつければ良いのかわからなくなるのも当然といえよう。
ツバキは顎に手をやり、うん、と唸るように相槌を打った。そのまま数分間沈黙が続いた。あまり長く落ち着けないヨシアキが遂に耐え切れずもじもじしてきた頃、漸くツバキは顎から手を放した。
「一つ、俺に考えがある。きついかもしれないが」
何でもやりますと、ヤノは鼻息荒く食いついた。
ヨシアキと初めて登校した昨朝に、駆け寄ってきたヤノを最初に見たときは、ごく普通のひょろっとした草食系男子だと思ったのに。こんなにもガッツ溢れる健全な青年だなどと、誰が想像し得ただろう。一年の付き合いがあるヨシアキも、口を開けっ放しである。臥柳高校に入学してからというもの、見かけで人を判断するなという教訓が身にしみて解るようになった。
「どうなってもいいという覚悟で入りました」
「そうか。なら、こうしよう」
ツバキの出した案は、ヤノにとって地獄の特訓となるであろう未来を示すものだった。
まずヤノの入部は飽くまで建前上のものとする。最初の二週間で筋トレや走り込み等基本的な鍛錬のメニューを組み、基礎体力をつけるための努力を積む。同時進行で、守備に必要な動きや、バットの素振りを地道に練習させる。
理論や戦術に関して言うならばヤノは実践レベルに達しているから、当面の課題は動きのみである。投げる、捕る、走るという、地味な作業と、膨大な練習量を凝縮してこなすのだ。
次の一週間で、今度はノックを受ける。我武者羅に受けるのではなく、理にかなった動きを覚える。この週のうちにノック三十球を連続で取れるようになれば、他の部員と同じ練習に参加できることとする。
但しその試験とも言うべきノックを行うのは「部長」のサキタという人物だ。
受ける相手が誰であろうと一切の容赦はせず、前後左右へと激しく振り幅を作って次々に繰り出される、非常に辛いノックだという。
「俺たちですら、そいつの球を三十球連続で捕るのは難しい。だから正直、初心者のお前には厳しすぎるとは思う。しかしクリアできれば俺たちの練習にも即ついて来られるはずだ」
ツバキをはじめ他の先輩たちも、ヤノ一人だけに構う暇はない。
三週間付き合うので精一杯だし、その期間のうちは代わる代わる誰かしらがヤノのために練習を潰して、時間を費やすことになる。この特訓を受けるとなると、ヤノにかかるのは身体の負担だけではない。
他人に労力を割かせるという責任が生じる。
それでもやるか、とツバキは問いかけた。
「やります。やらせてください」
驚くほどの即答で、逆にトージが目を丸くした。
さらりと入部を決めた時のようにその言葉に迷いはなく、目下クールを貫いてきたツバキも思わず素直な笑みを見せるほどだった。
「おお、本気だな。解った、それなら俺が責任もってメンバーに掛け合ってやる」
きっとヤノは三週間の特訓をこなして合格するだろう。不思議なことにトージはすんなり信じることができた。
ツバキが考えるプランの実態はわからなくても、何が来ようとも、ヤノはこなすつもりでいるのだ。とあれば、トージたちは応援するのみだ。いずれ、同じダイヤモンドにトージ、ヨシアキ、そしてヤノが立って、臥柳のチームを守ることになるのだろうか。
まだ想像もつかぬ未来への夢に、胸を膨らませながら、トージは期待をこめてヤノとツバキの背中を見つめた。
しかし。
トージのその期待が、意外な人物の糸引きによって裏切られることになろうとは――。恐らくその「意外な人物」でさえも、この時点では考えもしなかった筈である。
それはもう少し、後の話だ。
- 続く -
2000-01-01
あとがきです。
リアルに嫌な奴は書くのが難しいです。
オウキをもっと嫌な奴にしたいです。
そしてツバキはミズノ信者です。
日本のスポーツ界には結構な割合でミズノ信者が存在します。
すべあ