-正反対のバランスコンビ 椿 陽介(ツバキ ヨウスケ)と喜多島 冴の思惑-
トージは突如現れたキタジマに連れられて、やっとのことでヨシアキたち、そしてツバキが待つ昼飯スポットへ向かうことができた。
キタジマはツバキ、トージはヨシアキたちとそれぞれ待ち合わせ場所を決めた筈なのだが。ヤノが穴場すぎる場所をリサーチしたばかりに、待機組が先に鉢合わせをしてしまった様子である。
現場がどのような空気になっているのかという心配と、早くツバキたちに会いたいという思いでトージは急いだ。と言っても購買での無駄なゴタゴタのせいで、四十五分ある昼休みのうち三分の一を使っている。
ヨシアキとヤノは待ったことだろう。
「お、いたいた」
木製のシックな屋根つきベンチが幾つか見える。
ヨシアキたちが見えたらすぐに声を掛けようと思っていたのに、トージの呼びかけは「ん?」というキタジマの声に遮られる。
「あれがお前の相方か。なんか変な動きしてるけど」
言われてみれば、確かにヨシアキの様子がおかしかった。なんだか動きがギクシャクして、顔も引きつっている。
「ああ、多分……緊張してるんだと思います」
その原因は、彼等の隣で姿勢良くキタジマを待っているツバキにあるに違いなかった。
まるで弓道や剣道の試合を見ている時のような気分だ。そこに居るだけで、バリッと張り詰めた気に気圧されてしまいそうなのだ。予告も無しにバッタリ会ってしまった二人が、緊張をするのも頷ける。
「うわあ、最悪の空気だ。ツバキの奴、今日朝から機嫌悪いんだよなぁ」
言葉ではそう言いつつ心底楽しそうなその顔を、トージは見逃さなかった。底意地の悪い先輩は、どんより重いドロドロが漂うベンチへ颯爽と駆け寄って行く。
「よう。随分つまんなそうだな、ツバキ」
「お前が遅いからだろうが」
お気楽に近づいたキタジマを、ツバキはジロリと目だけで見上げる。一瞬、本気で怒っているのかと思ったが、キタジマはそれを軽く受け流してしまった。
「お前が無茶言ったせいだろうさ。で、マリヤマは?」
「職員室に呼ばれているとかで、もう行ってしまった。お前が遅いから――」
「わかった、わかったって。悪かったよ。ほら、望みのお狗様を連れて来たから機嫌直せって」
バシリ、とトージが背中を叩かれ前に出された途端に、ツバキよりも先に反応したのはヨシアキであった。
ヨシアキは唯でさえ大きな目をさらに見開きトージを指差し、上唇には飯粒と青海苔を付けたまま叫び出した。
「待ってたんだよトージ、その人誰?あ、そうだ、弁当先に食ってたから!」
緊張が解けたことも手伝って支離滅裂な喋りを繰り出すヨシアキ。慌てると余計に主張が理解できなくなるのも、この友人の特徴だ。
見かねたヤノが口を挟む前に、ツバキが動いた。
「落ち着いて喋らないか。と云うか食いながら喋るな。唾を飛ばすな。汚い」
怒涛のように小言の滝を降らせながら、縮緬のケースに入ったポケットティッシュを取り出した彼は渾身の力でぶん投げる。急に叱られて振り向いたヨシアキは、鋭い投げのアクションを見るや持ち前の反射力でしゃがみ、ギリギリのところで身をかわした。
ティッシュケースはヨシアキの額を掠めて、明後日の方向へ飛んでいく。
「おっと」
事も無げと言わんばかりの声を発してケースをひょいと捕ったのは、意外なことにヨシアキの向こう側に座っていたヤノだった。
トージは思わぬナイスキャッチに目を丸くしたのだが、そこで憤慨したヨシアキが立ち上がったので、そちらに気をやってしまった。
先程までのしょんぼり具合はどこへやら。今度は怒りのぷんぷんという効果音がしそうな勢いで、先輩ツバキにクレームをつけ始めたのである。
「なんでいきなり投げるんですか!」
呆然と見守るトージと、いざこざを嬉々として眺めるキタジマ。そしてキャッチした姿勢のまま固まるヤノ。そのどれにも目をくれず、ツバキはただヨシアキだけを睨んでうるさいと一蹴した。
「口拭くまで黙ってろ」
と有無を言わさぬ口調でピシャリと締めくくってしまう。恐ろしい迫力である。トージはごくりと生唾を飲み込み、怒らせないようにしなくてはと自分に言い聞かせた。
それでもヨシアキはまだもの申したそうにしていたが、余計な追撃をする前に後ろからぬっと伸びてきた手が、ティッシュを顔に押し付けた。ヤノである。
「ヨシアキくん。落ち着きましょう」
ヤノもまた、ヨシアキが話すことにより場が混乱するのを防ごうとしているようだ。
それでヨシアキは口を噤むことになった。ツバキとヤノの素晴らしい併殺プレーである。
この二人が二塁と遊撃のコンビを組むならば、きっと中日の荒木・井端並みの連携を取るようになるだろうな、とトージは感心した。
「よし」
ヨシアキが静かになったのを見届けたツバキは、改めてキタジマに向き直った。威圧的に睨まれた方の先輩は、なんだよと不服そうな声を出す。
「なんでそんな目で見んだよ。ちゃんと連れて来ただろ」
ドン、とキタジマに背中を押される。彼の力は強くて、トージは二息ぶん程咽せながらベンチ前に押し出されてしまった。
転ぶように進み出たトージの方へ一瞬だけ顔を向け、しかしツバキはより一層不機嫌そうな態度でキタジマを睨んだ。
「それより先に、渡すものがあるだろうが」
「え?ああ、そうか――うん、これね。おう」
キタジマはしまったという顔をし、悔しそうに箱を持ち上げた。購買の限定メニューの箱だった。
「その、まあ、実はさ」
キタジマは言葉を濁している。
そうだ、結局彼は一つしか買えなかったのだった。
キタジマが食い下がっていた理由は、ツバキの分も入手せねばならなかったからなのだろう。それにしても、終始人を馬鹿にしたような態度だったキタジマの旗色がこの限定メニューの話になった瞬間にここまで悪くなるとは。一体どういうことか。
「実はさ、今日は一個しか買わなかったんだよ」
キタジマは覚悟を決めたように口を開いた。
「一個?」
ツバキは確認するように、ゆっくり聞き返した。途端、空気が一気に凍りつくのがわかる。
たかがシュークリーム。されどツバキの様子を見ると本気で怒りそうである。キタジマはどうする気だろう。少しだけ、いい気味だと思っていると、突然キタジマはトージの肩に腕を回した。何事か、と見上げたトージにニヤニヤと笑ってみせながら、彼は最悪のキラーパスを寄越す。
「というのもな。このコマノがお近づきの印にとお前の分を買ってくれたからなんだよ」
「へっ?」
――しまった。
ツバキの目線が、トージの右手にあるお菓子の箱へとシフトしていく。今のツバキは本当にシュークリームにしか興味がないのだ。
「なんだ、それなら初めから言わないか」
やられた!と叫びだしたい気分だ。
しかしトージは、凶悪な笑みを浮かべて高みの見物を決め込んだキタジマに歯をむき出しながらも、ツバキへ箱を差し出すことしかできなかった。ここで「渡しません」と言えるほど命知らずではない。
「ふむ」
ツバキは箱を受け取ると、中身を確認して取り出した。
見た目はシュークリームのようなのだが、何故か白いクリーム状の何かがシュー本体の上に掛かっている。確かに美味しそうではあるのだが、限定という割には普通のコンビニシューのような見た目である。
トージは拍子抜けしてしまった。
ツバキはそのシュークリームもどきを手に持ち、暫く眺めたかと思うと、
「有り難く頂こう」
と言って深々と頭を下げた。
先のファーストインプレッションと少し違った印象がトージの心の中に生まれた。
少々頑固者かもしれないが、この人の素は意外に律儀なのかもしれない。
それから、並んで少し遅い昼食を食べることになった。
食いながら喋るなというツバキの意見に従って、その十分間は無言を貫き通した。最後に、ツバキが頬張っているシューを恨めしげに見ながら、せめて情報だけでも欲しいトージはこの食べ物の正体をこっそりキタジマに尋ねてみることにした。
勿論、心の中で恨みの言葉をぶつけながら、である。
「あれって、結局なんなんですか」
「ネタバレは致しません。自分で食って突き止めろよ」
誰のせいで食べられなくなったと思っているのだろう。腸から胃から、内臓全てが煮えくり返る想いで絶句していると、キタジマはにやりと顔を歪めて耳打ちしてきた。
「まあ、そう怒りなさんなって。借りは十倍にして返す。それが俺のポリシーだからさ、期待してろよ」
全く反省のない言葉にはげんなりしたが、面倒なので渋々頷いた。
こんな人なのに。と、トージは思う。
キタジマとツバキはどうして親しいのだろう。自らの入学の事情を話すからには、元々一定以上の間柄だったとは思うのだ。けれども彼らは、性格も雰囲気も、硬派なのか軟派であるかも、何もかも丸ごと正反対に見える。
人間関係とは、よくわからないものである。
一分後、ツバキは手を合わせて目を閉じた。
ごちそうさまと丁寧に締め、漸く用件に入ってくれる。
「改めて。俺はツバキ ヨウスケだ」
「こ、コマノ トージです!」
トージに続き、アカリです、ヤノですと二人が名乗った。かたっくるしいなあというキタジマの態とらしい大欠伸をまるっきり無視して、ツバキは実に自然に頭を下げる。
「宜しく頼む」
トージは慌てて、ベンチの上にいるというのに正座をして三つ指つきたいくらいの勢いでそれに応じた。
矢張りただの怖い先輩ではない。真面目なのだ。
ツバキはキリッと姿勢を正し、僅かに考え込みながら口を開いた。
「経緯は大体わかっているから、詳しくは聞かないが。お前たちも災難だったな」
まずかけられたのは、優しい言葉だった。
「リンもお前たちのことを心配している」
「りん?」
聞きなれない名前で、一瞬誰のことなのか解らなかった。返答に困っていると、ナイスプレー以来出番のなかったヤノが、後ろから顔を出してツバキに訊ねた。
「マリヤマさんのことでしょうか」
ああ、あの人の名前はリンタロウだったっけ。
今更だけれど、なんだか似合わない名前である。
「早速だが、お前たちの耳に入れておきたいことがある。単純な話だから、そう緊張せずに聞け」
トージたちに聞かせたいこととは、一体なんだろう。トージとヨシアキは探るようにツバキの眼を覗き込み、次の言葉を待った。
「なんですか」
ところがツバキは前のめりな二人を手で制した。
本題に入る前に一つ、と人差し指を立てると、
「結論を言う前に質問をさせてくれ」
と不思議なことを言った。
そしてゆっくりと言葉を選びつつ、噛み含めるように語り掛けた。
「このまま逃げ続けたいか。それともチャンスがあれば再起に向かうつもりはあるか。それだけ、聞きたい」
トージには――わからなかった。
そんなことを突然言われたってわからないのだ。今の状況さえも、きちんと整理できてはいないのだから。
ヨシアキも同じで、何も反応できずに唯ぼんやり口を開けている。
ただ一人冷静に受け止めたのはヤノで、
「部外者ですが――伺っていいですか」
と挙手をした。
ツバキが頷いたので、彼は一つの質問をぶつける。
「具体的に、再起とはどういう種類のものですか」
精神的な意味なのか、社会的立場を指すのか。
体裁的な意義なのか、打開的秘策を打つのか。
確かにそれがわからねば、反応もし辛いというものだ。ツバキは、そうだなと数秒考えて、
「反撃だ」
攻撃的な響きのする答えを出した。
質問者であるヤノは表情をピクリとも変えなかったが、ヨシアキは少しだけ不安そうな顔になる。それを見て、先程まではヨシアキに厳しかったツバキも幾分か優しい言葉をかけた。
「と言っても変な意味ではない。考えてもみろ、楽しくやり直したいと思ってここへ来ただろう。自分たちにとって苦痛しか生まないことはしないつもりだ」
楽しく、か。
そうだ。
ここへ入学することが決まった瞬間、トージは期待に胸を躍らせ明るい日常を描いていたはずだ。苦痛とはもうおさらば、新生活に早く慣れ「楽しく」過ごしたいと。そう願っていたのだ。
ツバキは拳を握り締め、目を伏せた。
「傷を癒せる空間を渇望して、俺たちもここへ来たんだ。だが数ヶ月暮らしても、何故か卑屈になるばかりで、何一つ状況が改善されていないことに気が付いたんだ。お前たちももう感づいているかもしれない。全てから開放されたつもりでいても、心のどこかに引っかかり続ける何か変なものがありはしないか?」
痛いほどに実感し始めていることを、ツバキはずばりと言い当てた。
実際、現在の状態はそれ以外の何者でもなかったのだ。明るい気持ちの裏で、事あるごとに「前までの自分は、あの時は」と黒い影がちらついて、意識の下にこびりつく。
忘れたいと心中でもがけばもがく程、それは裏返しにしつこい呪縛となり、重く圧し掛かってくる。ほら、今この瞬間だって嫌な気分になったじゃないか。
ただ生活が変わったくらいでは、本当の意味での救いになりはしないのだ。
「だから訊きたい。隠れるのをやめて、胸を張るために行動を起こすつもりがあるか。それでも踏み出すのは怖いか。怖いなら、俺は潔く関わるのを辞める」
ボロボロの精神、人としての体裁、世間の目。それら全てを良い方向に持っていくための秘策があるんだと、ツバキは呟いた。
脱却できるのだろうか。どうやってそこから脱却するつもりなのだろうか。できるものならしてやりたいが。
「因みに言っとくけど、もう一度野球で一旗あげようと誘ってるわけじゃねーからな」
キタジマは、アシンメトリーで長めに伸ばした前髪を、くるくると弄りながら補足した。
え、とそちらを見ると、彼は態と目を逸らしてしまう。
「だって前とおんなじことやったってダメだろ。新しいことしながら変わっていかないとさ。俺に言わせりゃ、過去の自分よりも凄いことをやりゃいいだけなんだ。意外と簡単さ」
トージは――正直に言って、驚いた。
軽い気持ちで言ったのかもしれないキタジマの言葉に、非常に心強いエネルギーを感じたのである。
「去年の僕より――凄いこと、ですか」
それで、強引に吹っ切ってしまおうというのか。
それは物凄く無茶で、魅力的な意見に思えた。
「お、教えてもらえますか」
トージの心の中には再び、野球場の人工芝に立ち、武者震いをするときの炎の兆候が見え始めていた。
「僕、やっぱり逃げるのは嫌かもしれません」
「そうか。――お前はどうだ」
ツバキはヨシアキを見た。
ヨシアキは一見怯え、震えているように見える。
しかしトージは瞳の奥にある光を見逃さなかった。
一度は未来のプロとして、全国の少年野球の選手からトップに選ばれたのだ。最早その栄光に興味はなかったが、そこに立てたのはトージやヨシアキが人一倍強気で負けず嫌いで、自分こそ一番になる男だと信じることができたからである。最近はすっかり押し込められてしまっていたその性が、「チャンス」という言葉を聞いた途端にうずうずと騒ぎ始めるのも当然だった。
負けっぱなしでいることを、許せないからだ。
「オレもです、何か方法があるなら聞きたい」
ヨシアキは思い切って顔を上げ、真剣な眼できっぱりと言った。
そうかと、ツバキは繰り返した。
「なら言おう。驚くかもしれない。結局同じようなものじゃないのかと思われるのは覚悟の上で話すんだが、俺は昨年こいつに誘われて始めたものがある」
「まあ、正しくは俺じゃなくて俺の先輩だけどな。よく考えりゃ、俺って仲介役ばっかり」
そう口を挟んだキタジマをひと睨みで黙らせ、ツバキは緑色をしたエナメルバッグをベンチの下から出した。
「それを我武者羅に一年続けてきたが、後悔していない。これならいけるとも思っている」
バッグの中に入っていたのは、グローブとボール。
ただしそのボールは見慣れた蜜柑大の野球ボールではなく、林檎かグレープフルーツほどの大きさの球である。
ツバキはそれを取り出し、右手の五本指で浅く握ると前に突き出した。
次に彼が口にし、トージたちが耳にしたのは、今までの説明とは到底結びつかないスポーツの名であった。
「ソフトボールをやってみないか」
- 続く -
2000-01-01
あとがきです。
ツバキは動かしやすいマトモな奴です。
そして、ソフトボールという単語も出てきました。
知ってますか?ソフトボール。
奥が深いんです。
すべあ