第三話:投手マリヤマの朝

-ミスターマイペース 球山 鈴太朗(マリヤマ リンタロウ)-



 遡って、トージとヤノが出会う七分ほど前。

 ああ、気持ちのよい陽気だ。寮の自室を一歩踏み出し、青年はストレートにそう思った。大空は水彩画のように透ける青。そこへぽつぽつと浮かぶ雲は、ゆったり風に乗せられて流れていく。
「うーん、運動日和」
呟いて歩み出す、今日は始業式である。
 今月の二日付けで二年生に進級した彼――マリヤマにとっては、或る「長い戦い」の始まりになるであろう、大事な1日である。
 さて、出陣だ。
 マリヤマは緑に輝くエナメルのスポーツバッグを肩にかけると、出陣と銘打ったわりにのんびりとした進撃を開始した。
 二階建てのアパートに似ている構造の古い寮は、薄い階段を降りるたびに軋んで甲高い悲鳴を上げる。まだ寝ている者もいるから慎重に降りたいところだが、生憎マリヤマは気遣いというものをしない人間である。そういった心が欠けている。
 良くも悪くもマイペース、それがマリヤマの常である。とはいえ幸い、根が穏やかである故に、他人と衝突することは少なくて済むのであるが。
 階段を降りきりいつもの通学路に出てみると、友人とすれ違った。否。友人よりも戦友と表現すべきだろうか。
「あ、ツバキ」
日課にしている走り込みを終え戻ったところなのだろう。汗だくで、湯気でも出そうな火照り具合である。
「ああ」
 あまりにぶっきらぼうな、挨拶とも思えない単語の応酬だが、問題はない。「部活」の朝練習に行けばどのみち、また顔を合わせることになる。
「あとでね」
「ああ」
素っ気なく走り去るチームメイトを見送り、マリヤマは気分新たに通学路を進みはじめた。
 そして、呼吸をおく間もなく、強い興味の対象となる声を聞きつけてしまった。
「先に行っちゃうよ!トージ迎えに行くんだから」
マリヤマの寮の隣の棟から走り出てきたのは、明らかに新入丸出しといった様子の学生である。
 それを見たマリヤマは、考え込んだ。
 なんだかどこかで見たような。細い茶髪と丸い眼と、ブカブカな着こなし──誰だったか。
「も、もっとゆっくりお願いしますよ!アカリくん」
続けて彼の後ろから、寝癖だらけの無造作髪をなんとかしようと必死な眼鏡の学生が遅れぎみに登場した。
 慌てたような彼の呼び掛けを聞いて、ピンときた。
 アカリ。そうだ。
 茶髪の新入生、アカリ ヨシアキという名前である。驚くほどに柔らかい体を自在に動かし、無茶な送球も溢さず捕る、T中学の一塁手をつとめた男だ。
 アカリが名門へ進学する、とニュースで聞いてはいたマリヤマだったが、「では何故ここに」という類の疑問は抱かない。ニュースは話半分に聞くものだと身に染みているからである。去年のような脱落組がまた「増えた」だけなのだろう、そう思っただけだった。というのも、自分もそうだし、先程のツバキもそのような道を辿ってきた人間だからだ。
 この学校にはどういう不思議か、そんな人間が引き寄せられるように集まる傾向がある。少なくともマリヤマの知り合いは、何らかの挫折を経てきた者ばかりだった。
 だから今回もそうだろうと、半ば諦めのようにすんなり判断していた。
「もう、ヤノくんってば。トージに会いたくないの?」
アカリは地団太を踏んで寝癖髪の人物を急かす。
「会いたいですけど、僕は君ほどの体力が」
ヤノと呼ばれた彼のことは知らなかったが、先程からもう一つ、聞いたことのある名前が登場していることにマリヤマは気が付いていた。「トージ」とは。
 あのレフトのコマノ トージのことであろうか。
 打席であらゆる種類の球に立ち向かう特攻野郎。守備では信じられない飛距離のレーザー返球を放つ。そんな化け物じみた左翼手まで、ここへ来てしまったというのだろうか。それこそ何かの間違いに思えた。だが、アカリの口からコマノの名が出たということを考えると、あのコマノ以外には考えられない。
「わあ」
マリヤマは俄かに興奮した。
 全身に鳥肌、毛穴という毛穴が開いた心地がした。
 すぐにでも声をかけたいがぐっとこらえ、マリヤマは変わらぬペースで二人の後ろを歩くに留めることにする。
「じゃあ先に行って合流してからゆっくり歩くから!」
アカリは急いでいるようすで、ヤノと呼ばれた新入生を置いてさっさと駆け出してしまった。
 マリヤマは慌てずにヤノの後ろをのんびり行く。合流すると言っているのだから自分が急ぐ必要はない。
 暫くすると、広めの道路に出る角を曲がった。
 この道路は通学路の動脈である。このまま真っ直ぐに三キロほど歩けば学校である。つまり大方の通学ルートを辿る過程でこの道路に出ることになるので、このままヤノについていけば自然とアカリにも追いつくだろうと、マリヤマはスローペースに思った。
 そして、その通りになった。
 ヤノとアカリが話していた「トージ」とは矢張りあのバケモノレフトのコマノで、合流した三人が和気藹々と挨拶合戦を繰り広げているのをマリヤマは電柱の影から見守ることにする。
 なんだか探偵になった気分だ。わくわくとドキドキが混ざり合って心地よい緊張感を生む。試合前の心状態に似ている。ところが、そんな高揚に水を差すように、誰かの手がポン、と肩を叩いたのである。
「おい、何してる」
――先程別れたばかりの、ツバキだった。驚いた、とは口が裂けても言いたくはなくて、マリヤマは無言で彼を睨みながら唇に指を当てる。
 静かにというジェスチャーを理解したのか、ツバキは一先ず黙ってくれた。
 困惑したような表情の彼からは、粉っぽくも爽やかな石鹸独特の匂いがする。ランニングで大量にかいた汗をシャワーで流してから部屋を出るのは知っていた。が、仏頂面とのミスマッチには思わず怒っているふりをした口もとが緩んでしまう。
 まじめな人間は面白い。
「ねえ、また僕たちみたいな子が入ってきたよ」
マリヤマは新入生を指差して、ツバキに見せてやった。
「ああ――」
ツバキは即座に事情を察してくれ、目の奥に悲しい光をちらつかせる。消えて行く者たちから何一つ学ぶこともなく、歴史は繰り返したのだ。
 次も、そのまた次もきっと、自分たちや彼等のような脱落者が居なくなることは無いだろう。それが社会で、世界であることは十分に承知の上だ。だからと言って切り捨てられる者が単なる割合に適っただけのオブジェクトであって良いはずが無いではないか。
 僕たちだって息をしている人間なのだと、マリヤマは主張したかった。
「どうする?」
出来ることならば、彼等に話しかけてみたい。
 味方が居るんだと教えてやりたいのだ。
「僕たちが接触するの、嫌がるかな」
その問いにツバキは、慎重に首を振った。
「既にコマノとアカリはくっ付いてる。だから俺たちの接触自体は嫌がりはしないだろうが」
「だろうが?」
あいつ等の意識がどっちの方向を向いてるかが問題だ、とツバキは持ち前の理屈っぽい物言いを展開する。
「前に行く気があるのか、否かで違うだろう。俺たちがしたいのは傷の舐め合いじゃない。それを解って貰うためには、俺たちも少し考えを纏めてから事を起こす必要があると思う」
つまりは、軽率に動くんじゃない、と牽制しているのだ。
 マリヤマは、自分とツバキのリズムがまるっきり違うことを承知している。そして多くの場合、彼のペースで物事を行ったほうがうまく事が運ぶのも知っている。
 それでも、早く安心させてやりたいのに。
 恐らくツバキは、マリヤマが不満に思っていることも把握していたのだろう。ああ解ったよ、と諦めたように吐き出して、すぐさま妥協案を提示してきたのである。
「今日の昼飯の時間までに考えよう。これで精一杯だ」
なんだかんだでマリヤマの我が侭を聞いてくれる。
 ありがとう、と笑いかけると、彼は目を逸らした。
「――あのさ、部活のことは教える?」
マリヤマ、ツバキ、そしてミナヅキ。彼らは今、野球の代わりとはならないまでも、同じくらい打ち込めるものを見つけていた。その部活の存在を、彼等に打ち明けてもよいものか。時期尚早だろうか。
 実はその部活で少々抱えている問題もあったのだが、それは彼等を混乱させてしまうだろうか。
「そういうのも今から考えるんだ、押し付けたくはない」
と、冷静な友人はマリヤマを諫める。
「俺はできるだけ公平にやりたいんだ」
どうも、それはマリヤマには向かないようである。
 マリヤマは諦めて溜め息を吐いて、新入生との接触という大イベントのプロデュースを辞退することにした。
「君に任せるよ」
こればかりは譲れないというツバキの態度にマリヤマはついに折れた。
 十メートル程先を行く三人の様子を眺めることにする。
「――でも、ホントにホントなのかなあ」
落ち着きなくふらふらと歩いていたアカリの声が、急にボリュームを上げたかのように耳へ飛び込んだ。
「いくらヤノくんの情報でも、それだけは実際見なきゃ信じられないよなぁ」
「僕も正直、最初は自分の耳を疑いました」
アカリの茶化しにも、ヤノは真面目に応える。そういう青年であるらしい。
 今度は何の話をしているのだろうか。
「でもこれは、僕がこの足で調べてわかった紛れもない事実なんですよ」
ヤノはポケットに手を突っ込み、それから引き抜く。
 握られていたのは、使い込まれた革の手帳であった。
「二年A組にマリヤマさん。C組にツバキさん。D組にミナヅキさん。確かに在籍してます」
おやおや、とマリヤマは耳をそばだてる。
 突然自分の名前が登場したことが信じられなかった。こちらが近寄らないうちに、彼はマリヤマたちの存在を突き止めていたのだ。思わずツバキの顔を見下ろすと、彼もまた素直に驚きの表情を浮かべていた。
 コマノとアカリに気をとられてノーマークだったが、入学してから一日でマリヤマたち三人の名を挙げた彼も只者ではない。
 完全にばれないよう暮らしてきたと思ったが、それも甘かったようである。ツバキも少なからずそういう焦りを感じているのか、顎に手をやって眉を難しく顰めている。
「先輩たち、部活とか入ってるのかな」
コマノの質問に、背後から答えてやるわけにもいかず、マリヤマはむず痒い想いで聞いた。
 後ろに噂の対象張本人がいるなどとは露ほども思わず、コマノはあれこれ空想を始めている。
「例えばマリヤマさんとかさ。野球をやめたなら、他のスポーツやったりすることはあるのかな。それとも、何か別のこと見つけたりとか」
「うわあ、超気になる!でも一見文化部っぽいよね」
アカリが猛烈に食いつき、コマノも頷いた。
「そうだな。テレビで見た感じだといかにも草食、って雰囲気だったし。料理部とかだったりして」
勝手なイメージである。
 確かにマリヤマは普段から料理をするが、それは寮が自炊制だからであって趣味だからではない。それを言うならばツバキだって、料理をしているのである。それなのに隣のツバキは「半分は合ってる」等と独りで相槌を打つ始末だ。
 マリヤマは自分の印象がそういうものなのだと初めて知った。
「A組だっけ?なあ、会いに行ったら怒られるかなあ」
マリヤマ個人としては大歓迎なのである。
 アカリの言葉を受け、ツバキの表情をちらりと横目で眺めてみても、ツバキは頑として首を縦に振らなかった。
 昼まで待て、との態度を変えない。
「――ケチ」
ツバキは何か言い返したそうな顔をしたが、耳を僅かに赤くしただけで何も言わなかった。
 ハイハイと、マリヤマは呟いた。
「我慢するよ」
 少し前までの自分ならば、それでも自分のペースを貫き通していたかもしれない。だが今は違う。
 大人になったのか、情熱を失っただけなのか。
 それは考えないようにして、ツバキへの念押しだけは忘れずにしておくことにした。
 必ずお昼だからね、と。

- 続く -

2000-01-01

あとがきです。

視点がかわりましたねー

なお、マリヤマは腹黒ではなくて、本当に、ガチでマイペースな人物です。
裏に何かあるんじゃ・・・?とビビられますが、全て天然でやっています。
本人に悪気はまったくありません。

すべあ