第一話:心強い味方

-八番・一塁手 亜星 由宙(アカリ ヨシアキ)との出会い-



ところが、トージの考えは甘かった。激甘だった。想像以上に大変な事態が既に起きていることに、気が付かず、トージは呑気にも浮かれていた。
 だから例えば、今日はカレーかラーメンが食べたいな、などと考えながらぼんやり進んでいたのだが。
「おーい、君!」
 行き成りドタバタと慌しい足音が背後から迫ってきた。一瞬にして脳裏には、意地汚く追ってくるカメラマンの姿がフラッシュバックしていた。
 トージは反射的に振り返ると「敵」を探して見回す。
 心に根深く植わるトラウマは、瞬時にきょろきょろと辺りを捜索して、すぐにそいつを見つけた。……そして、安堵した。初めからカメラマンなどいなかったのである。
 いたのは同じ制服を着た人物で――見た目からすると恐らく新入生だった。
 しかし、直ぐ警戒を解く訳にはいかない。
 薄暗いのでよく見えないが、きっとあれはどこにでも沸いて来るミーハー野郎なんだ。今まで幾度となく見てきたので慣れていた。
 だが、わざわざ逃げ込んだこの高校でまでそんなのと付き合いたくはない。
「や、やっと追いついたぁ」
遂にそいつはトージの目の前までやってきた。
 体を折って膝に手を当て、ぜいぜいと苦しそうに息をつき始める。一体どこから走ってきたのだろうか。トージは何も言えず数秒間彼を眺めていたが、やがて沈黙に耐えられなくなって声をかけてしまった。
「あの、大丈夫?」
我ながら、間抜けな言葉を選んだものだと思う。「敵」である相手を心配するなんて。
「だ、だいじょばない。ごめん……悪いけど、落ち着くまで……ちょっと待っ、てて」
会話をするどころではないようだ。
 謎の人物との間に、気まずく長い時間が流れた。
 結局トージは彼が復活するまでにたっぷり三分も待つ羽目になり、漸く落ち着いたのを見計らって、もう一度声をかけた。
「なんでそんなになるまで走って来たんだ?」
素朴な疑問だった。目の前の彼はふうと大きく息を吐き、勢い良く顔を上げる。
「これが黙ってられるか!君、K中学にいたコマノくんだろ?……しっかし、運動サボるとオレみたいにすぐ体力落ちちゃうよ。君も多分そうなってる」
文脈も何も無くまくし立てるので、始めは何を言っているのかわからなかった。それでも、興奮している彼をまずなだめてやろうとトージは近寄って。初めて、彼の顔をまともに見ることができた。
 そして心臓が止まりそうなくらい驚いた。
 その無邪気そうな顔に、見覚えがあったのだ。そうは言ってもどこかで会ったのだとか、小学校が同じだったのだとか、そういう類の「見覚え」などではない。
 テレビで見たから知っているのだ。
「オレのこと知ってるって顔だね?ちょっと嬉しいな」
彼は、トージがテレビで見たクールな笑みとは違う、屈託のないくしゃっとした笑顔を向けて言った。

 彼の名は、アカリ ヨシアキである。
 トージと同じように注目を浴びて、将来を期待された【一塁手】だった。男性の体でありながら関節の可動域が異常に広く、多少の悪送球は楽々捕ることが出来る、左投げ左打ちの元気印として評価された人物だ。
 トージがまだプロの選手を目指していた頃は、「いつかアカリくんと一緒のチームでプレーがしたい」と周りに言いふらすほど憧れていた選手なのだ。
「し、知ってるもなにも!な、な、なんで」
トージはしどろもどろで、三歩ほど後退りした。
 何故アカリが同じ学校にいるのだろう。
 彼は野球の強豪校へ行くらしいというニュースは全部間違いだったんだろうか。そもそも何故、野球部の存在しないこの高校へ彼が入学してきたのか。
 と、そこまで考えてトージははっとした。
 アカリは、相変わらず笑顔だ。
「もしかして……君も」
トージは、恐る恐る尋ねた。
「野球、やめる気でここに?」
アカリは、うん、と頷いた。
「だって、それならP校に行くってニュースは」
「あんなの捏造だよ。うんざりしちゃうよな」
アカリがさらりと出したその言葉には、トージは開いた口が塞がらなかった。
「捏造って。そんなことして、どうするつもりなんだ?」
「オレに聞かないでよ。そんな報道でもすれば、オレが雰囲気に流されてP校を受験するとでも思ったのかもしれない。向こうの気持ちなんて知らないから、違うかもしれないけどさ」
 時たま、トージ達の敵はそういった報道をすることがある。事実、それがいいのだろうと流されるように思い込んで行動してしまった時期もあった。
 報道はしばしば人の冷静さを奪ってしまう。
「毎日追い掛け回されて、発言にも気を遣ったりしてね。ちょっとでも期待外れなことになれば大騒ぎするし。そんなのに怯えながら野球をするなんて、バカらしくなっちゃって。それ位ならオレはさ、ひっそり楽しくやる草野球で十分だよ」
 アカリは怒涛の勢いで吐き出した。やっぱり、ここへ来た理由はトージと同じようだった。彼もまた、相当に我慢をしてきたのだろう。
「けどさ、そんなの跳ね除けてプロ入りした奴らだってたくさんいる。オレたちのこういう態度っていうのは、世間的には意気地なしとか我慢足らずって風に呼ばれちゃうのかもしれないけどね」
 アカリは自嘲気味にヘヘッと笑う。前にテレビで見たよりも表情豊かで、そして思っていたより背が低かった。まさかトージよりも小さいとは。
「でさ」
アカリはひたすら喋り続けている。
「入学式で呼名されるクダリがあっただろ。最初、君の名前が聞こえたときはビックリしたよ」
 そういえばトージはアカリの名前が呼ばれたのに気が付かなかった。学長の話によって眠気がピークに達していたので、他人の名前をいちいち聞けるような状態にはなかったのである。
 ちゃんと聞いていればよかった。
「まずなんで、コマノがここにいるんだって目を疑って。で、もしかするとオレと同じなんじゃないかと思って。手が届かないと思ってたようなすごい選手も、悩みを持ってたのか、スーパーマンじゃないんだって思ったんだ。なんか嬉しくてさ、思わず追いかけちゃったよ。それで息切れ。運動は続けないとダメだね!」
それこそ息切れを起こしそうなほどに話しまくって漸く、アカリのマシンガントークは終わりを告げた。
 それにしても、突っ込みをしたいところばかりである。トージがすごい選手だなんて。
確かに注目を浴びて自惚れていたことは認めるけれど、それならばアカリは、画面に映った偽のトージ像を見て騙されていたに違いない。
 だってトージは、本当は信じられないくらいに普通の人間だ。天才などではない。背伸びをして無理に努力を積んだだけの、世界中のどこにでもいる凡人なんだ。
 だから、こうして逃げてきたのであって。
「こっちの台詞だよ。僕から見ればアカリくんって神様みたいな存在で」
「神様ぁ?過大評価だってば。逆だよ、逆」
なんだか会話がぐるぐるとループをし始めた。
褒められ慣れているはずのアカリだったが、何故だかサッと照れくさそうに下を向いて小声で早口に呟いた。
「結論言うとね。やっぱり、今喋ってみてさ、オレたち似てるかもって思ったよ。オレが、勝手に思っただけなんだけど」
否。
 それはトージが今純粋に思っていることでもあった。トージとアカリは似ている。或いは特殊な境遇もあって似ざるを得なかったのだ。
その上でわざわざ選んだ高校まで一緒、というのには、きっとトージたちが知る由もない、どこか高いところに理由があるのだろう。
 それならばトージは、それを受け入れて新たな生活をアカリと一緒に歩みだすまでだ。
「あのさ、改めて。コマノ トウジくん」
アカリは遠慮がちな上目遣いでトージの顔色をチラリと伺った。
「良かったらさ。仲良くしてくれないかな」
トージは――嬉しくなった。
 当たり前じゃないか。こちらから申し出たい程だ。
 そう言うとアカリはガッツポーズをし、まるで子供のように飛び跳ねて喜んだ。表情が面白いようにころころ変わる彼を見て、きっと友達の数は多いんだろうなあ、と余計なことを考えた。
 憧れていたアカリが野球をやめたのはもったいない、と人事のように思うが、彼が直面していた壁というのは決して人事ではないものだ。
 画面上では完璧に見えたアカリもやはり作られた像に過ぎず、その裏側ではトージと同じように苦悩を抱えていたのだ。
 しかし、こうしてトージたちが出会えたことによって、互いの心の傷を笑いながら話せるような日がいつか来るとすれば。
 そうなれば、トージはここへ来てよかったと、心から思えるようになるはずだ。希望的観測でしかなかったが。
「コマノくん、これからよろしく!」
と勢い良く差し出された手。それを握り返し、トージはアカリの嬉しそうな顔を見て笑い返した。
「あのさ、僕のことはトージでいいよ。くん付けなんて、面倒臭いだろ」
 コマノくんなどと呼ばれたのは何年ぶりだろう。
 アカリは益々ニッコリとして、
「わかった、トージ。じゃあオレはヨシアキって呼んで欲しいかも。オレの苗字、女子の名前みたいであまり好きじゃないから」
と意外に繊細なこだわりを披露してくれた。
「OK。ヨシアキ」
随分と久しぶりである。これほどに晴れやかな気分になって心の底から笑ったのは。
 夕陽はとっくに紫色へと変わり、トージたちは互いの顔さえよく見えない状態になっている。それでも二人は、満たされた気分で並んで歩いた。
 アカリ、いやヨシアキは寮に入っているという。漸く興奮状態から我に返ったヨシアキが、「これ以上暗くなると道に迷っちゃう」と慌て始めたので、名残は惜しいが今日はもう別れることにした。
 ヨシアキが思いきり手を振るのを見ながら、トージは既に明日のことを考えている。
 どんな話をしようか。
 好きな球団とか、選手とか?それともまずは無難に、カラオケの十八番はなんだとか。
 くだらないけれど素敵なことで、頭は一杯だ。
 浸りきってあれこれ想いをめぐらせるうち、トージはあっと言う間に自分のアパートへと帰り着いた。
 レトルトのカレーを、今日ほど美味しく感じたことはない。ご飯を三杯もセルフでおかわりした後熱い風呂に浸かり、この世の何もかもが良い方へ進んでいるような、充実した気分で床に就いた。
 ヨシアキが味方になってくれただけで、百人の仲間を得た気分だ。
 トージはいつの間にか深い眠りに落ちて、翌朝目覚めた時には夢さえも覚えていなかった。

- 続く -

2000-01-01

あとがきです。

ヨシアキ喋りすぎ。


プロ野球界で「斉藤佑樹」がスゴイぞって注目された理由はやはり「報道どこ吹く風」型の選手であることが大きいと思います。
あんなに騒がれてるのに平気な顔でいられるなんて、人間じゃない(褒め言葉)
一方「菊地雄星」はスペックは申し分ないものの、注目のされ方が異常で、しかも急だったこともあり、調子狂ってピリピリしたり、病院通いなのに「風俗通い」などとありもしないことを書かれて、色々な要素が相まって一年目は不調でした。

普 通 は 雄 星 く ん み た い に な り ま す 。
でも、2011年は見事復活。負けがつきにくい投手として先発ローテーションにまで入ることが出来て、一安心。
と、いうことで今回は、雄星くんレベルの記者爆撃を中学生が受けたらこうなるんじゃないか?と思って考えた出だしでした。

すべあ