第十一話 : 天敵、起爆、自尊心

-或る練習の風景-



「集合ッ!」
今日も、ホヅミの元気すぎる号令が響く。
 グラウンドどころか学校中に聞こえるような「集合」に、トージたちはくらくらとしながら、部活動開始前の円陣を組んだ。

 ソフトボール部に入って数日が経った。漸く大きい球と金属でないスパイクにも慣れてきて、トージとヨシアキは運動の感覚を思い出しながらソフト部になじみつつあった。
 結局ヤノの扱いに関し、サキタとツバキは合意したようである。始めの一週間は基礎体力をつけ、きちんとしたキャッチボールをできるよう学ぶことになったとヤノは嬉しそうに語った。
 部の活動が許された防風林の間は、練習をするにはとても酷い環境だ。それでも毎日そこで先輩たちと過ごすうちに、わかってきたことがいくつかある。
 まず、ヤノがいつだか言っていた気もするが、マネージャーがいるということだ。それも、二年生の女子が二人。
「ハナエとネネコっつうんだ。見ろよ」
ヤノの素振りを指導するサキタ部長の目を盗んで、キタジマは携帯電話の画面をこちらに向けた。
 二人の女子と、キタジマが調子よく写っている写真だった。キタジマの左側にいるのは、黒髪をポニーテールにした、利発そうなアーモンドアイの女子。そして右側には、毛先が外側にくるんと跳ねたミドルショートの先輩。大人しそうだ。
「左がハナエ。右のポワンとしたのがネネコさ」
トージたちが入部してもう一週間経つのに、一度も見たことがなかった。
 学校内ですれ違ったこともないと思う。
「あんまり来ない人たちなんですか?」
「いいや。普段はかなり頻繁に来るよ」
近くで聞いていたマリヤマが話題に参加した。
 彼の教えてくれたところによると、ハナエの方は骨折によって入院中。ネネコは短期留学中。二人とも、あと一週間は部活へ顔を出すことができないらしいのだ。
 女子マネージャーという存在に謎の期待と憧れを抱いていたトージたちは大いにがっかりしたが、キタジマの一言でそれも全て吹き飛んだ。
「ネネコは知らんけど、ハナエはお前らに会うの楽しみにしてたな」
楽しみ、か。
 トージはにやけるに留めたが、横でヨシアキは明らかにワクワクし始めた。
「こんな可愛い人が、ねぇトージ」
「かわいい?どこがだ」
いつの間にか後ろからのぞきこんでいたツバキが、信じられないという口調で言った。
「イオリは最悪だぞ。乱暴でがさつ、手に負えん。足を折ったのもその性格のせいだ」
イオリとはハナエマネージャーの苗字なのだろう。それにしても何故、ツバキはこれほど強く否定にかかるのか。
「あのバカとハナエ、幼馴染みなのさ」
キタジマがコソッと言った。
「姉貴に似て口うるせーから反発してんのさ」
顔を合わせれば口撃の応酬で喧嘩が絶えない、天敵同士。しかも同じクラスだというから、毎日それはもう賑やかなのだそうだ。
「天敵同士っていうか。互いに起爆剤なんだよね、ほほえましいね」
マリヤマが暢気に言う。そう簡単なものだろうか。
 甚だ疑問だったが、そんなものを抱いたところでどうなるものでもない。ツバキの問題なのだ。
「そうそう、ツバキの天敵で思い出したけどね」
マリヤマは、今度はどこか諦めたような、呆れたような声色に件の微笑みで言う。
「タコ焼きパーティの時、サキタとツバキが喧嘩したのを覚えてる?」
忘れるはずがない。
 二人とも目を吊り上げムキになり、周りのことなど微塵も目に入らない様子で口論していた。トージは本当にマズイと思ったのだ。
「あの二人も、天敵同士なんですか」
「うん、それは酷いもんだよ。一日じいっと見ていれば、どんな感じかはわかると思う」
マリヤマの勧めに従い、トージはその日の活動中、二人を始終観察してみることにした。

 基礎練習のキャッチボール、逸れたギリギリの球を部長が捕る。すると隣でツバキが舌打ちして、バディのキタジマに、より難しい球を投げるよう要求する。
 また別の練習、ランニングでぶっちぎるツバキ。すると、サキタは目をキラリと輝かせて、ラストスパートでこれでもかとツバキを追い上げる。
 寡黙なはずのサキタと真面目で律儀なツバキの間に起きる妙な化学反応の謎。
 トージは我慢できなくなって、クールダウンの際に通りかかったホヅミに訊ねた。
「あの二人、どうなってるんです?」
「二人?ああ、奴らのことか」
彼は珍しく複雑な表情をすると、トージの耳に顔を近付けた。
 禁則事項なのだろうか。ホヅミは最小限まで絞った声で、
「同族嫌悪という奴だ!」
と叫んだ。
 油断したトージの耳にキーンと圧力がかかる。わざわざ近付かなくたって聞こえるのだ。
 飛び退いて左耳を押さえたトージを見て薄笑いをしているのは、スポーツドリンク容器を咥えたキタジマである。
「ハルちゃん」
遠くからこちらに呼び掛ける。
「まる聞こえ」
「なに!地獄耳め!」
ホヅミのボケっぷりは置いておいて、どうやらサキタ部長とツバキが犬猿の仲であるというのは、見た通りそのままの様である。
「わかった?あれ、困るんだよ」
マリヤマの本気の溜め息は非常にレアである。
 イオリとツバキの関係を微笑ましいと語った彼が、どうしてサキタ編では渋い顔をするのだろうか。その理由は単純明快だった。
「あの二人はどんな練習でも競うのに夢中なんだ。どんどん先に行きたがる。皆はついていくのに必死だよ。練習のペースがいちいち試合並みに変えられちゃうから、エネルギーがもたないよ」
苦情ともとれる。けれど、マリヤマはきっと心配しているのだ。やりすぎは怪我や破滅に繋がるし、チームのためにもならない。
 仲良くしてほしいな、とマリヤマは言う。
「おんなじチームなんだから」
どのようにして、二人は競争しあう仲になったのだろう。競争というには少々ハードすぎる気もする口喧嘩に、常に意識しあう闘争心。
 ホヅミの言うように、同族嫌悪なのだろうか。
「同族か。ある意味ではそうだね。別の意味ではまったく逆だけど」
それ以上のことは聞けなかった。
 訊く余地もなかった。
「でもね、お互い嫌いではないと思うんだ。多分気に入らないだけで」
マリヤマは二人をフォローするように笑う。
「プライドって二人が言ってた。だから、きっとそうなんだろうね。僕には理解できないけど。どうして味方同士でムキになるのかな」
 遠くを見るようなマリヤマの目に、少し違和感を感じた。理解できないものなのだろうか。プライドに関し、トージにはマリヤマの理論の方が頷きかねた。
 しかし、それは同時にマリヤマの中に息づく、強いマイペースさにも関係しているように思えた。テレビで見たマリヤマの戦いを思い返すと、彼のプライドは対戦相手を目にして初めて燃え上がる類のものなのだろうとわかる。それも自尊心の一種であることは間違いない。
 それでもトージとしては、ツバキとサキタの意地の張り合いが自尊心に起因した対決だとするなら、そこに口を挟む余地はないと思うのだ。味方も敵も関係なく、ピンときた瞬間から互いをライバルとして認識する。そうやってがむしゃらに強くなっていくのだ。ツバキの場合、その相手がサキタ部長。サキタの場合、その相手がツバキだった。
 それだけのことだ。
 誰かの正解は別の誰かにとっては間違いであり、理解できないものになる。プライドは特に、難しい。
「コマノ、マリヤマ。手足を休めるな」
グラウンド整備用具のトンボをツバキと奪い合いながら、サキタ部長は声を飛ばした。
「は、はいスミマセン!」
「ごめんごめん。ちゃんとやるよ」
トージとマリヤマはクールダウンを終わらせると、整備作業に加わった。

 そう、部活動中のサキタは少し謎めいている。
 ピシッと話すし眼は鋭いし、それに機嫌がいいとノックが鬼のような威力になる。
 まだ部長としてのサキタを見尽くしたわけではないが、彼は様々なポテンシャルを秘める人間だと思う。マリヤマの無条件の信頼もだし、何だかんだで部長が一声あげれば皆がすぐに動く。
 そして思考の海が広く深い。
 じっと考えを巡らせたあとで呟く一言の単語や台詞に、一切の無駄がないのだ。
「一雨きそうだな。あと二十分で、ランニングは切り上げだ」
そんな予感は当たるし、
「今日はキタジマから目を離すな。サボって帰るつもりでいるから」
そういった勘も鋭い。
 絶対的な自信と威厳に足元が固められている。

 対して、普段のサキタは少しも凛々しくない。
 ボソボソ話すし眼は逸らすし、それに何かあるとすぐに誰かの後ろに隠れてだんまりを決めこむ。
 それ程普段のサキタを知っているわけでもないが、彼はポテンシャルを秘めすぎて、扱いきれていないのだ。
 思考は深すぎて、話しかけても聞こえていないことがある。
 じっと考えを巡らせたあとで呟く一言は手遅れだったり、いつの話か判断に困ることもある。
「リョウちゃんお願い!ノート貸して!」
懇願だろうが怒鳴られれば泣きそうになるし、
「おい、早く図書室に本返せ。俺が読みたかった本だろうが」
ツバキに理不尽なことを言われても反論できない。
 自信や威厳は微塵もなく、足元はグラグラ。なんと物理的にもよく躓く。

 実際のサキタ部長を見ていてわかった。「仕事」しかできないのである、いい意味でも悪い意味でも。だからなんだか、目が離せないのである。
「――というように、ヤノは根性で日々成長している。このままいけば秋の新人大会、遅くとも来春には十分使えるようになるだろうと思う。お前たちも気を引き締めろ。夏の大会前でも、緩んだ意識の奴は容赦なくヤノとポジションを交代させるぞ。以上だ。ホヅミ、号令」
「これで今日の活動を終了するッ!」
冷静に今日の活動を纏め、格好良く話を終えた部長。しかしホヅミの絶叫によりミーティングが終わった瞬間から、「部長」はただの「サキタ」になってしまうのだ。
「よっしゃあ、やっと終わった!リョウちゃんさ、ハンバーガー食いに行くか?」
「や――いい」
キタジマの食事の誘いにもうろたえ、ヒクヒクと顔を引きつらせて、首を横に振るサキタ。
「まあ、だろうと思ったわ。じゃあな!」
グチャグチャと用具を片付け、キタジマは猛烈なダッシュでグラウンドを出て行く。
 彼が散らかした用具を見事に一瞬で片付けて、後を追うのはツバキである。
 慌しい彼らを見送り、それと入れ替わるようにマリヤマが歩み寄った。
「ねえサキタ、ダイダイスポーツ行かない?」
「行く。バッティンググローブを買いたかった」
部活的な要素がある誘いには、しゃんっと背筋を伸ばして応じる。
 本当に珍しいタイプの人である。部長は機敏な動きでスポーツバッグを肩にかけ、グラウンドを出て行こうとして、思い出したようにトージたちを振り返った。
「お前たちも擦り切れる前に新しいものを買って、手に馴染ませておくといい。それではな」
さっさと行ってしまう。
 じっと見ていたサザナミと、トージたち一年生だけが残された。
「あれって、そう簡単に擦り切れるものだっけ?」
最高に胡散臭い、という表情をして、ヨシアキは確認するように訊いた。
「僕は擦れる以前にサイズが合わなくなった」
「洗って、縮んで、それで代えることはよくあるようですが……」
トージとヤノが揃って首を横に振る。
 するとヨシアキは、背後霊のように立っていたサザナミにまで混乱をぶつけた。
「サザナミさん。ソフトボールに限って、手袋が擦り切れやすいってことは?」
「――」
サザナミはゆっくり顔をヨシアキのほうへ向ける。
 若干口の端を上げたような「気がする」が、それこそ「気のせい」だろうか。
「ない」
きっぱりとした口調だった。
 そういえばトージは初めて、サザナミの生声を聴いた。
「そ、そうですよね。くだらない事訊いちゃって、スイマセン」
「いや」
二文字ずつだが二言も喋ってくれた。
 思ったよりも通る声だった。

 その後サザナミは最後まで残って用具を一緒に片付けてくれ、スッと手を挙げて帰っていった。トージが可笑しかったのは、帰っていくという姿も初めて見たことである。今まではふと気が付くと消えていたのだ。
「ねえ、ヘンな人だらけだよね。この部」
ヨシアキはしみじみと噛みしめるように、その後姿を眺めていた。
「喋んないサードに、声でかすぎるキャッチャー。ノックで手袋擦りきる部長」
オレここで生きていけんのかな、と言う。
 そういうヨシアキだって十分に変なヤツだ。

 既にトージは、サキタ部長率いるソフト部で、一旗あげてみたくなっていた。いや、一旗あげるというのは少し言葉が違う。支えていきたい、だろうか。いや、これも違う。
 やっぱり、「ほっときたくない」だ。
 あの部長を見てハラハラした時点で、トージの負けは決まっていたのだ。駄目なだけならそれまでだが、ソフトボールをする時においてサキタは、安定したカリスマ性をこともなげに発揮するから困ってしまう。
 見逃したくないと言いかえてもよい。
 とにかく、そういうはっきりとした落差が彼、サキタ部長の魅力の一つなのだろう。
 だからこそマリヤマもホヅミも部長を信頼しているし、ダメな時には世話を焼く。
 ヨシアキはいつまでもヘンな部だヘンな部だと首を捻っていたが、トージはこっそり胸のうちで確信することがあった。
 トージもはまりつつあるのだ。
 この部を突き動かす部長の、謎の魅力に。

- 続く -

2011-11-01

あとがきです。

急に何かのスイッチはいる人っていますよね。

すべあ