第十三話:グラウンド・マネージャー・ユニフォーム

-チーム臥柳のフィールド-



 終わった。
 退屈な勉強合宿が、終わった。
 学校へと帰り着き、すぐにトージたちは、合宿前のホヅミの言葉通り度肝を抜かれることになった。

「グラウンドが――できてる!」
それは合宿後、校門前にてバスを迎えてくれたマリヤマにくっついてホヅミの自宅を訪れた瞬間のことだった。
 畑だったはずの空き地が小さいグラウンドへと姿を変えていたのである。
「ど、どうしたんですか。これ」
ヤノも目を白黒させて、ずり落ちる眼鏡を何度も上げている。
「すごいでしょう。小さいし、表面を整えただけなんだけどね。僕たちが作ったんだよ」
言って、マリヤマはトージたちをグラウンド内へ誘った。作ったとは一体、どこからどこまでの話なのだろう。
「よぉう、お帰り」
口を開けっ放しだったトージたちに、キタジマの陽気な声が飛んできた。できたてのグラウンドにきちんと据えられたベンチ。そこへ座って待っていた先輩たちは、皆誇らしげで、どういうわけかへとへとに疲れ果ててもいた。

 話を聞けば、トージたちが旅立った日、彼らは既にとりかかっていたのだという。
 一日目、放課後の時間を利用して空き地の雑草を刈り小石を拾った。翌日には、ホヅミの父親と近所の農家仲間の耕運機が、土の表面をひっくり返した。そして重機で取り除かれた土のかわりに、今度は運動場に適した土を入れたのだそうだ。
 最後にローラーを借りてきて土を踏みしめて、ベースまで取り付けて、グラウンドは完成した。
「し、信じられない」
ヨシアキもヤノもトージも、目の前の先輩たちの驚異的な働きには開いた口が塞がらず、また頭も上がらなかった。
「その顔、その顔。それを見るためだけに、俺はこの数日頑張ったのよ」
さも可笑しそうに、キタジマが笑い出した。マリヤマもにこにこと三人に笑みを投げかける。
「そうそう、みんなで君たちをビックリさせようって言ってね。――どう、ビックリした?」
「当たり前じゃないですか」
ヨシアキは興奮がいきすぎて、まるで怒っているように言い返した。
 それもまた先輩の笑いを誘った。

 すごい。すごいグラウンドだ。
 ここから本当に、トージたちのソフトボール部生活が始まる。そう思うと幸せな気持ちになって、トージは思わず鼻にツンときてしまった。暫くベンチに座って、このグラウンドを眺めていたいくらいだ。
「そういえばね」
嬉しさ覚めやらぬトージたちに、マリヤマは思い出したように言った。
「君たちがいない間にね、マネージャーの二人も帰ってきたんだよ」
「うわぁ、待ってました!」
マネージャー。その単語を聞くや否やヨシアキががばりと身を乗り出した。
 一週間前、キタジマが見せてくれた画像の二人。
 確かイオリとネネコという女子マネージャーで、それぞれ複雑骨折と短期留学という妙な理由で、ソフト部を離れていたと聞いた。ヨシアキは特に会いたがっていて、合宿の間も何かにつけてその話題を持ち出してきたくらいだ。
「おいお前。俺たちのグラウンドよりもそっちに食いついてんじゃないよ」
ぼやくようにキタジマが突っ込んだがヨシアキの耳には入っていなかった。
「で、今二人はどこにいるんですか」
「ユニフォームがイオリの自宅に届いたそうだ。今取りに行っているところだ」
ホヅミは胸を張った。
 新グラウンド、帰還したマネージャーときて、ユニフォームまで見られるというのか。
 今日はなんだかいい日である。
 合宿から開放された喜びも勿論大きかったが、こうも立て続けにいいことがあるので、トージは機嫌よくそのマネージャーを待つことに徹した。
 隣でそわそわしているヨシアキを小ばかにしたようにツバキは鼻を鳴らしたが、
「おーい!」
と唐突に遠くから響いた女の声と自転車のベルにぎくりと目を見開いた。
「おーい、ユニフォームを持って来たよ!」
き、来た。
 トージは、そしてヨシアキはさっと振り向いて、その声がどこから聞こえてきたのかを探る。そして、目線が畑のあぜ道に行き当たった。
「げっ、あいつ――ギプスで自転車こいでるぞ!」
嘘だろ、というキタジマの声を背中に聴きながら、トージも唖然としていた。
 画像で見た、ポニーテールのイオリ ハナエが、ダンボールの箱を積んだ自転車を漕いで、凸凹のあぜ道を猛スピードでやってくる。背中には松葉杖を背負っていて、ジャージからのぞいた右の足先はまぎれもなくギプスなのだ。
「お、おい、バカかお前は」
ツバキが吐き捨てるように言って駆け出すと、
「見たい見たい、早く見たい!」
ミナヅキもそれに続く。ツバキは無論危険すぎる運転を止めようとしたのだが、ミナヅキは恐らくユニフォームが見たいだけである。
 案の定、イオリはあぜの長い草に車輪をとられふらりとよろめいた。
「あ、あらら」
そのまま自転車はコントロールを失い、パタリと横様に倒れた。
「うわわわ、危ね!」
慌てふためくミナヅキ、そしてツバキ。彼らが下で待ち受けていなかったら大惨事が起きていただろう。
「ひえっ!」
吹っ飛んだダンボールは地面に落ちた。しかし、イオリと彼女の自転車は、二人の男に支えられてなんとか軸を立て直すことが出来た。
 トージたちはほっと胸を撫で下ろす。
「ありがと。あんたたち」
「ありがとうじゃない、危ない。怪我でもしたらどうする。ネネコはどうした」
ツバキはドスのきいた声を出しつつ、自転車からイオリを降ろそうと手を差し伸べる。
 怒っているのか、心配したいのか、訊きたいのかわからない。
「怪我ならもうしてるもん。ネネコはコンビニに寄って来るからもう少しかかる、よいしょっと」
彼女はツバキの手を無視してひらりと自転車から降り、骨折していない方の足で着地した。どうしてそうガサツな真似を、と小言を呟くツバキ。
 しかしイオリはかまわずに突き進むと、トージたち一年生の方へ近寄ってきた。右足をかばいながら歩くたびにポニーテールがひょこひょこと揺れるのが、なんだか可愛い。
「へえ、キミたちが」
吊り上がった目が順繰りに、トージ、ヨシアキ、ヤノを見上げた。そしてヨシアキに視線が戻った。
「何で笑ってるの?」
「へっ?」
ヘラヘラしていたヨシアキは慌てて真顔になった。
 そんな彼が腑に落ちないという顔だったが、イオリは気を取り直したらしかった。
「まあいいわ。とにかく、キミたちが新入部員ね。あたしはイオリハナエよ、見てのとおり骨折中だけど。どうぞよろしくね」
ずいぶんとサバサバした人だ。
 それに比べて、トージたちはなんなのだろう。もそもそと挨拶を返すことしか能がない自分を、トージは自分で情けなく思った。新入生たちが自己嫌悪タイムに陥っているとは露知らず、イオリは土塗れのダンボールを抱えて地味に歩いてきたサザナミを振り返った。
「あ、ごめん、レン」
「おお、それがユニフォームか!遠い所自転車でご苦労だった、ハナエよ」
「いえいえ、お仕事だもん」
ホヅミ副部長は駆け寄り、サザナミのガムテープ剥がしを豪快に手伝い始める。
 部員たちも集まって覗き込んだが、部長だけはいつの間にか輪から締め出されて背伸びしていた。
「さあ。いいか、開けるぞ」
テープがきれいさっぱり取り除かれるとホヅミは顔をあげ、輪になったメンバーを見回して、長い溜めを作った。
 早く開けろよ、とミナヅキが急かした。
「ええい、情緒のわからん奴めっ」
やれやれというホヅミの呆れ声と共に、ついにその箱は開かれ、マリヤマはじめ部員たちが歓喜の声をあげた。
「かっこいい」
黒と緑のユニフォームだ。
 サザナミのデザインで見たときにも格好良いと思ったが、実物になって出来上がってくるとまた別の感動が胸のうちに湧き上がってくる。これを着て、トージたちは試合に臨むのだ。まだ試合のヴィジョンもないし皆のポジションさえ決まらないけれど、トージはわくわくして仕方がなくなってきた。
「はいはい、落ち着いて!一旦離れてね」
ざわめく皆を、イオリは手を叩いて静める。
「背番号と名前を呼ばれた人から前に出てよね。ユニフォームを渡すから」

 こうしてトージの手元には、背番号十二番の、「KOMANO」というユニフォームが渡った。ヨシアキの背番号は三、文字は「AKARI」で、ヤノは八十番の「YANO」だった。主将であるサキタの背番号は強制的に十番だが、他の先輩たちも好き好きの番号が縫い付けられたユニフォームを手に、嬉しそうな表情を浮かべてメンバーのものと比べ合っていた。
「ほらほら、いちいち喜ばないでよね!まだ配り終わってないわよ、下が配れないじゃない」
イオリが再び手を叩いて、部員たちの気を引く。隣に居た女子も、そうだよと猛烈に頷いて、
「早くしないと練習ができないですよ」
と並ぶよう催促した。
 そうだよな、とトージも納得し、共にスパッツタイプのアンダーを選択したマリヤマの後ろへと並び――、漸くおかしいことに気が付いた。
「って、いつからいたんだよ、ネネコ!」
キタジマのツッコミがトージの気持ちを代弁した。
 イオリの隣の女子ネネコは、おかしな質問でもされたかのように首をかしげた。
「私、ずっといましたけど」
「うん、見てた」
マリヤマが証人だった。
「上を配るとき、僕が呼ばれたあたりであぜ道にいたよ。それから普通に降りてきて、その後はずっとイオリさんの隣に立っていたんだけど」
 マリヤマだけでなく、サザナミも、サキタ部長も顔を見合わせて頷いていた。ついでにヤノまで、ぼそりと「確かです」と呟いた。見ていたのだ。何か、穏やかな面子にしか感じ取れない波長というものでもあるのだろうか。
「それを早く言えよ、もう。心臓に悪いな」
キタジマは胸を押さえて撫でる仕草をした。
「だいたいいっつもネネコはこうなんだよなあ。急に後ろに立ってたりするしさ」
わざとじゃありませんとネネコは反論し、注目を浴びたついでにトージたちの前へやってきた。
「というわけで、私がネネコです。苗字はですね、根っこにコドモの子で、ネコ。変な名前でしょう」
ネネコは独特のふわふわした空気を漂わせながらにこやかに挨拶した。
 ネコネネコ。確かに、名前も雰囲気も変わっている。
 この部活動、部員たちだけでなくマネージャーまで曲者揃いなのである。
「よろしくお願いします、コマノです」
「アカリです」「ヤノです」
もう何度目だろうという流れだが、トージたちはつつがなく名乗り終えた。
「うん。仲良くしてくださいねぇ」
ネネコは手を体の前に持ってきて、ペコリと頭を下げたのだった。

「さて。お前たちもこれで漸くソフト部メンバー全員との挨拶が済んだわけだな」
一連の流れが終わったと見てとると、まとめ役のホヅミは腕を組んで仁王立ちのスタイルをとり、大きく頷いた。サキタも部長モードで微笑む。
「では、練習を始めるとするか」
「整列!」
グラウンド、マネージャー、ユニフォーム。
 これで、ソフト部の完全な活動に必要な材料は全て揃った。
「ずっと言いたかった号令をかけるぞ、いいかッ」
ホヅミはベンチ前に並んだ部員たちを確認して、きらめくダイヤモンドへ向かって思い切り叫ぶ。
「お願いします!」
自分達が世話になる神聖な場への、感謝と礼儀。
 その号令を、他のどんな学校のソフト部よりも、トージたちは心を込めて復唱することが出来る。
 先輩たちが泥にまみれて作ったグラウンドだ。再起を誓うトージたちの前に姿を現してくれた逆転のフィールドであり、ステージなのだ。
 十人が十人、それぞれに違う想いを抱いているはずである。だがその想いは、未来に向けて同じ軌跡に収束するであろうことも確かだ。
「お願いします!」
 トージたちは、夕陽きらめく真新しいグラウンドへ、揃って頭を下げた。

- 続く -

2011-11-02

あとがきです。

ここまでご覧頂きありがとうございました。
これでサンプルとしてアップしていた序編は完結となります。
本編は大好きな紙媒体にしてイベントに持って行きますので、どうぞ臥柳メンバーの活躍を見守ってくださいませ。

すべあ